ベトナム戦争で、「敵」と面と向かって殺し合って来た兵士のトラウマ治療には、仲間意識と、お互いに相手の話に耳を傾ける気持ちこそが必要です。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.236の、第2パラグラフから。
皆さんの恐怖について見通しを与えること、その見通しを他者と分かち合うことは、「自分は人類の一員だ(真っ当な人間だ)」という気持ちを取り戻すことに役立ちます。私が治療したベトナム帰還兵の人たちが、彼らが見たり、関わり合った「空間都市」を分かち合うことが出来る治療グルーブに参加した後で、彼女にも本音を語れるようになった、と報告してくれましたね。
ここで、ヴァン・デ・コーク教授が紹介している治療グルーブのしていることは、言葉の真の意味で「礼拝」なんですね。エリクソンはritualizationと呼び、私はかつては「儀式化」と訳してきたのですが、その訳語では、間違いなので、今では「礼拝」と正確に訳すようにしている言葉なのですね。
礼拝とは、1)見通しを確かにして、2)その見通しを人と分かち合うことで、3)「まともな人間だ」という気持ちを快復することです。この3つの要素全てがあって、初めて礼拝といえるのですね。
プレイセラピーをする場合だけではなくて、普通にやっている子ども等の遊びも、この3つの要素がある場合がほとんどで、「礼拝」になっていることが実に多いんですね。その意味では、子どもは遊びで、自分を取り戻してんですよ。
ヴァン・デ・コーク教授の治療グルーブは、この「礼拝」の定義にピッタリです。人は礼拝が出来て、はじめて、彼女に気持ちを伝えるようになるのだとすれば、草食系男子が多いニッポンでは、その礼拝がないことの間接的な証拠なのかもしれませんね。
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