オカシナ行動、不法行為、意地悪、不正、などを見る時でも、響き合わないために生じてくるかもしれない、色々な悩ましいこと、として見ることは役立つ場合がありますからね。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.106の、ブランクの後から。
根源的信頼感 対 根源的不信感 : 希望
幸いなるかな、赤ちゃん。この世に、良い資質、優しい親と祖父母のある赤ちゃん。両親も、おじいちゃん、おばあちゃんも、赤ちゃんに熱心に関わってくれるし、赤ちゃんと大いに喜んで関わってくれますから。私どもが気付かなくっちゃいけないのは、根源的信頼感がなければ、その赤ちゃんは生きられない、ということです。ですから、すべての人は、根源的信頼感があり、それとともに、ある程度、希望という人間力があります。根源的信頼感は、希望を確かにしてくれますし、この希望こそは、あらゆる試練や、いわゆる、この世の艱難辛苦に抗する、一貫したの支えです。私どもを守ってくれる不信が少しもなかったら、生き延びることは難しいでしょうけれども、不信は、私どもの暮らしのあらゆる部面を悪で汚し、私どもが自分と人を大事にする気持ちを殺ぎ、人類に対する仲間意識をも殺ぐことになります。
この信頼と不信の件の最初は、まるで、新約聖書の「山上の説教」みたいですね。「幸いなるかな」で始まるのですからね。良い資質と、悦んで関わってくれる親のいる赤ちゃんが幸いでしょう。本当にそうですよ。心理臨床をしていたら、痛いほど、その大切さが分かります。
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