大災害も、対処次第で、心理的にも違いが出る?生きものの間がを観察するとは、実にこんなに素敵 観察単位は、個人ではなく、世代間関係で見るということは、臨床心理の基本中の基本です。家族心理学だ......
今宵は、『新約聖書』「ルカによる福音書」第4章1節~4節「荒野の試み」から、その後段、悪魔の救いについて、学びたいと思います。
新共同訳では、「ルカによる福音書」第4章3節~4節は
「3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。」
ここを私なりに訳したのが次になります。
「3物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔は彼に言った、「もしお前が神の子なら、この石にパンになるように命じてみろ」と。4そして、物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔に向かってイエスは言った、「『その人はパンのみで生きるのではない』と(聖書に)書いてある」と。」
ここで、「悪魔」と新共同訳で訳されている「こっちはいいけどあっちはダメ」と物事を善悪ふたつに分裂させる悪魔」は、イエスに条件を出します。「もしお前が神の子なら、この石にパンになるように命じてみろ」というものです。しかし、これは、「お前が、この石にパンになるように命じて、本当にこの石にパンになったら、俺はお前を神の子と認めてやるよ」ということでしょう。悪魔は、神の創造にケチをつけ、「アレとコレ」を区別し、善悪に物事を分裂させる存在でしょ。「コレはいいけど、アレはだめ」と善悪を区別します。それは、「善悪を知る木」の実を食べた自アダムとエバの子孫である我々人類には、馴染のある考え方ですね。
悪魔の救いは「○○すれば(ならば)、救われる」と、いつでもどこでも、条件付き。「テストが80点以上ならば、ゲームソフト、買ったげるからね」、「結婚相手は、年収800万以上(ならば)」、「大学まで入れてやったんだから、親の面倒を見なさい」…という具合です。
しかし、“条件付きの救い“ =悪魔の救い、などというものは、この世にも存在しないのです。
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