本当の人生は、「もうダメだ」と思ってから始まるもの。
Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、第3パラグラフから。
「次の世代を産み育てる」ことが出来るかどうかの危機は、自分が生みだした相手や、生みだすのを手助けした相手を見る時に、人は直面することになります。それは同時に、その人自身の人生の役目が、時代が生み出す者の端くれとしての役割によって、自分は天使の味方になっていると感じるのか? それとも、ドヨンと沈んだ気持ちになるのか? の危機場面でもあります。同様に、こういったことすべてによって、年を取った時に、「いろいろあったけど、善い人生だったなぁ」、「できたらまた、同じ人生を生きたいなぁ」という感じになれるのか? それとも、「良いこともあったけれども、結局無駄だったなぁ」「ダメだったなぁ」と絶望するのか? いずれかを味わうことになりますよ。
私どもは、死ぬときに「いろいろあったけど、善い人生だったなぁ」と感じて、死んで生きたいものですね。
そのためには、私どもはどうすりゃいいのでしょうね。
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