物にするやり方は、こうして学びます「無理矢理に入る」と「すべてを飲み込む」が3つめの舞台のやり方になります。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』...
今晩は、天才ジェームズ・ヒルマン James Hillmanから学びます(Insearh 『探求心』から)。
神様はどこにでもおられますし、全能でもあられますから、あらゆるところに生きておられます。神様はご自分の息吹で宇宙を満たしてくださいます。じゃぁ、どうやって、創造するのかしらね? 神様がお出ましにならない、すなわち、神様がご自分からしゃしゃり出ることがないのは、そうなったら、この世には隙間、遊びが1つも無くなってしまうからでしょう。もしも、隙間、遊びがあれば、それは、神様が不完全であられること、すなわち、場が空であること、神がおられない場があることだ、ということになっちゃいますでしょ。ですから、神様は、隠れることによって、創造されます。神様は神なき世界、他者を創造されるわけですね。それは、自己構築、集中によって可能になります。この指針から、神様の隠れた輝きに関する神秘的な考えがたくさん生まれましたし、また、より際立つこと、隠れること、外の世界から流浪することから、神の創造のお手伝いをする神秘の人にも、同様な神秘な考えがたくさん生じました。人間のレベルで申し上げれば、自分自身を引っ込めることによっと初めて、相手がイキイキ、ピチピチすることを手助けすることが出来る、ということになります。
素晴らしいですね。ジェームズ・ヒルマンが一廉のサイコセラピストであるばかりではなく、超一流の学者であることがハッキリと分かる所です。以前、空 Tsimtsumで、意訳した部分を、もっと広範囲に、忠実に訳し直してみました。
これは、1つには傾聴について、論じているところです。ですが、それだけではありません。これは、真実な意味で、祈りと礼拝のことを、明確に示しているのです。
ですから、人との関わりで、それは、心理面接の場面に限ったことではありませんが、真の意味で傾聴ができた場合は、日常生活の中であっても、ささいなことであっても、一番深い意味で、その傾聴の場は、祈りと礼拝の時空になっている、ということになります。
祈りと礼拝は、かくして、毎日の暮らしの中に、満ち溢れたものとなる訳ですね。
不思議でしょ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます