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Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 P.96,第2パラグラフから。
生涯を通して,日常生活は,善と悪,淨と不浄を区別する境界線を不動にします。これらの善悪などの分別の境界線が,大人の世界の中にある善悪などの分別を言葉にする暮らしの中で,あらゆる日々の礼拝に当てはまる善悪などの分別の判断基準を,一番正しいもの(訳注:であるかのように)にします。その日々の礼拝では,人間は,神様の教えに身も心もピッタリと従いますし,礼拝の進め方の細かいところにも全体にも目を配ります。礼拝に参加する人たちの現実をともに乗り越えた,神様を信頼する気配が匂い立って際立ちますし,…
かくして,悪い良心は,日々の生活全てを支配することになります。
しかし,神様の創造の秩序は,良い良心でなければなりません。
ここに,ベクトルが逆向きになる,という根源的な矛盾,原罪の問題が出てきますね。
そこで大切なのは,日々の祈りです。身も心もキリストに向けることです。
そうしていると,その神様を信頼する気配は際立って匂いたち,赤ちゃんでも,見知らぬ子どもでも,見知らぬ老人でも,気が付いて,近づいてきますし,話しかけてきますから。
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