今の日本の、根源的な貧困子どもを操縦すること、コントロールすることを「教育」だと誤解している人が、今の日本では、とっても多いですね。それは子どもをモノ扱いすることであって、子どもの自...
「≪私≫の感性」は、本来はいつも、大事にすべきものです。いままで,「≪私≫という感じ」と訳していましたが,それでは不十分,不適切なことがわかりました。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p87の第2パラグラフの,下から10行目途中から。
このようにして、とどのつまり、この≪私≫は、ひとりびとりが、意志を伝え合う経験世界の中で、自分が意識の中心にいることを,単純に言葉で確かめる土台ですし、自分が意識の中心でいることが,あまりにもヌミノースを体験することになりますから、この≪私≫は,イキイキ,ピチピチ生きる実感のなくてはならない条件にもなりますし,それ以上に,手応えを実感してい生きている実存の重要な条件にもなりますね。それと同時に、2人以上の人たちが、世の中に対する1つのイメージを分かち合い、それぞれの言葉のズレを埋め合わせる時、ひとりびとりの≪私≫が、1つの≪私たち≫に溶け合う実感を実感しあうことにもなります。
ここに,あらゆる発達と,あらゆる治療の神髄が示されています。
それに,このヌミノースを確実に実感する手立てが,日常生活を礼拝にすることなんです。
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