子どもを操縦すること、コントロールすることを「教育」だと誤解している人が、今の日本では、とっても多いですね。それは子どもをモノ扱いすることであって、子どもの自尊感情を日々傷つけることなのに、それを、自省し、内省し、振り返るユトリもない、無思考の大人がしでかす、「悪の凡庸さ」=「人類に対する犯罪」なんですね。この「悪の凡庸さ」=「人類にいする犯罪」は、家庭で学校で、残念ながら、しかも、空恐ろしいことに、非常によくあるパターンになっているのが、今の日本の根源的な貧困です。
p115の第3パラグラフ。
他の人たちを信頼することは、最高潮に達するときには、人類に対する信頼となります。西洋世界ではこの手の信頼は、ユダヤ・キリスト教の中で、宗教的に表現されますし、非宗教的に申し上げれば、この150年の、人間らしい、政治社会的な理想の中で一番強く表現されてきました。子どもを信頼することと同じように、人のポテンシャルは、適切な環境があれば、平等、正義、博愛の原理に従って統治された社会秩序を創り出すことができるものだ、という理念に支えられているんですね。人類はいまだこのような社会秩序を創り出すには至っていませんが、だからこそ、人はそのようにできるという確信には、信頼が必要です。しかし、あらゆる合理的信念と同様に、人類に対する信頼は、希望的観測などではなくて、人類の過去の経験と、ひとりびとりの内省、それから、ひとりびとりが、判断力と人を大事にする気持ちに対して自分自身で経験してきた経験、という証拠に基づいているものです。
信頼は、人類に対する信頼で最高潮に達する、とフロムも言います。この点でも「人間皆兄弟」を信頼するエリクソンと共通ですね。
しかし、日本は真逆の現象があまりにも目につきます。
日本の根源的な貧困は、人を操縦し、コントロールすることが、あまりにも多いこと。家庭や学校までもがそうなっちゃっていますから。同様にひどいのは、その操縦が、「振込詐欺」などのような犯罪にも繋がっていることです。操縦には、必ず「ウソとゴマカシ」が入り込んでいます。一番ひどいのは、わが安倍晋三政権のデマゴギーぶり。「積極的平和主義」、「すべての女性が輝く社会づくり推進」などと美辞麗句を言いながら、ケダモノのように人殺しができる国づくり、多くの女性が貧困で喘いでいるのに、それを無視・隠ぺいするキャンペーンになっていることですね。
私どもは、あくまでも真実なことを大事にすることが、この手の「ウソとゴマカシ」に抗して、「人間らしい社会」を創り出す勇気と希望に生きる上で、どうしても必要ですよね。
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