エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

道徳教育と倫理の伝承

2015-11-07 03:19:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
よろしくね。
  毎日、お忙しい生活をしておられるお母さん。ご苦労様です。 一生懸命に生きておられることでしょうね。 今日はどんな一日だったでしょうか? そんなことも、...
 

 

 私は、道徳教育には否定的です。「やんない方が良い」と考えてます。私自身は、小学校でも中学校でも「道徳」の授業を受けた記憶がありません。しかし、高校の頃と、大学のリベラルアーツで、「倫理」の授業がありました。「倫理」の授業は、哲学の授業みたいで、私は好きでしたね。もともとの専門が、政治思想史だったからかもしれません。

 なぜ、道徳教育に私は懐疑的なのか? それは「偽善の臭い」がするからですね。教員もできないことを、一方的に子ども等に押し付けようとしているだけ、という感じがしますから。以前にも、このブログで、道徳教育を記した時にも、書きました。学校が上意下達の、権威主義的集団である時(実際にそういう組織であるケースが、残念ながら、少なくありません)、日本軍と同じで、イジメの連鎖が生まれます。教育委員会から校長に、校長から教員に、教員から子ども等に、イジメの連鎖が生まれます。その、成れの果てが、大川小学校ですね。70人以上の子どもが殺されているのに、誰一人責任を取ろうとする者がいないし、未だその責任の所在を明らかにしようとさえ、していませんでしょ。とうとう、子どもが殺された教員の佐藤さんは、教員を辞めてしまったようですね。「事なかれ主義」以上の、軍国主義日本の軍隊並みの、いじめと無責任体制があったことが、強く推定されますね。一方でイジメをしていて、子どもの意見表明権という、人間として正しいことを封殺していて(「決まりなんだから(問答無用に)、守りなさい」)、道徳を語れると思う方がどうかしてますね。

 子どもが倫理を学ぶのは、倫理的態度を学ぶのは、倫理的態度で繰り返し関わってもらった時だけです。つまり、大人の≪話し言葉≫と≪出来事≫が、繰り返し一致する時だけ、≪言ってること≫と≪遣ってること≫が、繰り返し一致している場合だけです。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちや、東芝や東電や、フォルクスワーゲンや、秋田の肥料会社や西武学園や、三井不動産レジデンシャルや旭化成建材、スタップ細胞の理化学研究所や御用学者や…、もうきりがないほどの、個人や組織の「ウソとゴマカシだらけニッポン」の空気に染まらずに、いることが大事ですね。

 ≪言ってること≫と≪やってること≫を一致させるためには、個人も組織も超える価値を、少なくとも一つ、心に深く刻み込んで、しかも、「腑に落ちない」ことをゴマカサナイで、明確にする態度を取りつつげていなくてはなりませんね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 安全と安心のはじめ | トップ | 「本当だなぁ」という感じの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿