私どもは、世界の中心にいたい私たちなのです。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p89の、第2パラグラフから。
これまではこれでいいでしょ。しかし、お気づきのように、人間の発達を人生のいろんな舞台を通して辿る時に、人間の課題となるのは、自分が中心でいるという、非常に根源的な感じが、相手の数が舞台ごとに次第に増えていく中で、新たにされるかどうかにかかっている、ということでしょ。その相手の中には、人生の大事な局面で、1人の「相手」と個人的に認めるほど近しい人もいれば、しかし、ほとんどの人は、分かち合うことによって、「本当だなぁ」という感じを確かにしたいと願っている、少数のやり取りのある人たちです。この少数のやり取りのある人たちは、「本当だなぁ」という感じを私たちに押し付けたりはしないけれども、「本当だなぁ」という感じを、私たちとは違ってしまうこともありますね。
「≪私≫という感じ」は世界の中心でありたいと願います。しかし、それと同時に、「本当だなぁ」という感じを分かち合うことも同時に必要です。「本当だなぁ」という感じを分かち合えば、私どもは「≪私たち≫という感じ」をも共有することができるんですね。
ですから、「≪私≫という感じ」は世界の中心でありたいと願うと同時に、相手の「≪私≫という感じ」を認め合う「≪私たち≫という感じ」も必要です。
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