エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

右手と左手の話 改訂版

2015-01-08 14:37:58 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 奴隷、と言っても、リンカーンが解放した黒人奴隷でも、アメリカ当局が「人身売買」と断じている、日本政府がやっている「外国人技能実習制度」でもありません。心が自由でなく、「泣く子と地頭には勝てない」、「長いものはに巻かれろ」、「給料くれれば、何でもやります」という感じの人ですね。まぁ、普通のサラリーマンかもしれません。そういう人の口癖は「仕方がない」、「しょうがない」。他に選択肢がないかのようですね。自己選択ができない、正確に言うと、自己選択を放棄しているので、奴隷なんですね。そういう人は、大した山には登れませんね。高尾山も無理でしょう。

 それに対して、自由人。西村秀夫先生がかって、右腕と左腕を身体の前に上げて、「人が『右手』と言っても、左手をあげることができる」と繰り返し教えてくれたように、いつでも、右手、左手、どちらを選ぶのか、選択の自由がある人のことです。それは、その場を取り仕切っている強者が「右手」と言っても、左手を挙げる自由があるからです。三浦雄一郎さんではないですが、自由人は「エベレスト」に必ず登れます。日本人でしたら、せめて「富士山」には登りたいでしょ?

 たかが、右手と左手、の話。されど、右手と左手、の話。

 いつでも、仕方なく右手を挙げる人の人生は奴隷人生。

 いつでも、右手と左手のどちらを挙げるのか、と自分自身に問う人生は、自由人生。

 あなたは、どっち?

 

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