人々の倫理的な力を呼び覚ますガンディーの内的な力とは、いったいどういうものなのでしょうか?
p240第2パラグラフ。
ガンディーの気持ちの複雑な動機やら、不思議な気質やらを、分かっている、と申し上げているんじゃぁないんですね。行動指針に関して西洋的な厳格さには馴染まない点もありますし、インド人の観察者にとっては奇妙に感じる点もあると思います。私はガンディーの行動には、今や「時代遅れ」かもしれない父権主義もあると見ることもできますよね。ところが、ガンディーの記念碑的な単純さと、この「実験」にガンディーが全人格を掛けて関わったことによって、労働者たちも、工場主たちも、ガンディーを尊敬したんですね。ガンディー自身が、ユーモアのある畏敬を抱きつつ、「私はこんな戦いを今までしたためしがありません」と言ったくらいです。というのも、実際に、争い合う敵も味方も成長するのは、アーメダバードの労使関係が新しい永続的な地平にまで高められたやり方においてです。次の事実だけ引用することをお許しいただきたいのですが、1950年代においてい、アーメダバードの織物労働組合は、インドの労働組合連合の20番目を占めるにすぎないのですが、福利厚生費に80%を当てていた、ということですね。
人の幸せ、福利厚生費に組合費のほとんどを使っている。エリクソンがそれを記したのは、この支出が特別だったことが分かります。それは労働者も「人間らしい暮らし」に近づけるためだったことは、明らかでしょう。
それは、ガンディーの願いと関係があると思いますね。
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