形ばかりをやりやすいところで、どうしたら本気を取り戻したらいいのか? それかいつでも課題です。
Young Man Luther 『青年ルター』p210の最初の行の途中から。
ドイツ語のBrustton der Unberzeugung(確固たる確信)、すなわち、男のように勇気がある確信から始めることは、いろんな形の確信に満ちた訴えとなりました。一番最近の例ですと、私どもが良く見るテレビアナウンサーの裏表のない姿ですね。このすべてが示しているのは、ルターは永遠の心のフロンティアのパイオニアだということと、ルターが戦った戦いを続けなくてはならないのは(偉人の戦いがそうあらねばならないのと同じで)、まさに、ルターの言葉がルター自身の名において歪められてしまっているところにおいてでした。
勇気って何でしょうね? 勇気は確信から生まれるものでしょ。いろんな場面で勇気はあるのかもしれませんね。エリクソンが挙げているように、言葉が歪められている場合もそうでしょうね。今のようにアベシンちゃんと悪魔の仲間たちが、「戦争」のことを「平和」と呼び、「日本市民の命を見殺しにすること」を、「国民の命を守る」と呼んでいる時代ですからね。まるで、ジョージ・オーウェルの『1984』が、現実になっている時代でしょ。そういうときには、そのウソとゴマカシをパレーシアにハッキリと、言葉にすることが、何よりも勇気が必要なことであると同時に、しかも、真実なことになります。
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