子どもの頃の作った積み木遊びの音色と、大人になってからついた仕事の音色とが、響きあうことは実に驚くべきことです。“積み木遊びの不思議” とでも言いたいくらいです。
また、暴力に関わりそうな10代の黒人グループの支援をしているこの人の言葉と心的態度は、今の日本で教育に関わる人すべてに参考になるのではないでしょうか。なぜなら、この人と同じくらいの激しい怒りを抱え込んでいる子ども(そして、大人)が非常に多いからです。また、課題を抱えた人を支援するためには、この男性のように、自分の心にある課題をまずは“よく”見つめて、それから、その課題と“よく”折り合いを付けなくてはなりません。こういうと、すぐには納得できない人、抵抗を感じる人がいるかもしれませんね。
前回翻訳したところにも出てきたことですが、この激しい怒りが自分に向かえば、自己破壊的になるわけでしょう? そうすると、今の日本で1998年以降、自殺者が毎年3万人以上15年間も続いていることも、激しい怒りをいかに多くの人が抱え込んでいるかを示しています。よく考えていただきたいと思います。これは実弾が飛んでいるアフガニスタンでの米兵の死者数をはるかに超えているのです。日本とアフガニスタンとどちらが危険な「戦場」なのでしょうか?
また、尼崎事件の角田美代子ほどではなくても、あるいは、直接人を殺すほどではなくても、どこぞの電力会社や「振り込め」詐欺のように、様々な「企業」活動などを隠れ蓑にして、悪いことを平気でやる人間が、少なくないのではないでしょうか?
今日は「遊びの舞台」の最終回です。
歴史的発展と新しい政治的ビジョンのおかげで、この男性は、笑って従うという、子どもの頃の解決策を乗り越えることができたのでした。すなわち、この男性は自分の怒りに気付いただけではなく、その怒りを社会的活動の中で活かせるようにもなったのでした。よくあることですが、彼の人生は、子どもの頃の観察に比べれば、予測を超えて守られた一つの約束の実例でしたし、彼の積み木遊びは、積み木遊びの生活史の中で、見覚えのあるひとつの場を得たのでした。
これで、「遊びの舞台」は翻訳完了です。
ところで、この「一つの約束」って、何なのでしょうか?これを理解するためには、このブログに以前翻訳した部分 <「新しい人」になれた! 子どもの笑顔 大江健三郎> を参照していただければと思います。
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