発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの身近な人が、やり取りのある関係になって、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの居場所になってくれたら、どんなに素敵でしょう。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入ります。p.232、後半あたりから。
傷つけられ、トラウマを負わされた子どもたちが一番必要としていることって、それまで負わされたトラウマが原因の痛み、悲しみ、ホッタラカシにされた感じを和らげてくれる、温もりと絆を感じる仲間なんですね。発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもたちを癒すのに役立つものは、その子どものやり取りのある関係が、量と質ともに、良くなることでしょうね。助けになるのは、言ってることとやってることが一致した、我慢強い、大事にその子どもの相手になることの繰り返しです。ついでに申し上げれば、役に立たないのは、「正しいこと」をやってるつもりで、その実、勉強不足の、その道の「専門家」です。その「専門家」に限って、トラウマになっている出来事に土足で踏み込んだり、子どもたちに「トラウマになった出来事を話してね」だとか、「怒りを発散しなさいな」などと強制すんですね。
アメリカにも、日本にも、役に立たない「専門家」がいることがハッキリ分かりますね。ブルース・ペリー教授も、役に立たない「専門家」の事をあいまいにすることが、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものためにならないばかりか、有害であることをよくご存知ですね。
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