今どきのニッポンって、ウソとゴマカシだられですから、「大人」って、「自分が得するように人をだます人」だって感じになってますけれども、本当の大人は、「倫理的な感じ」や「倫理的配慮」の出来る人だ、とエリクソンは教えてくれています。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p93の、下から2行目から。
ここで、ついでに、思い出していただきたいのは、人間が、道徳や価値や倫理を育む可能性を分かち合う礼拝をするために用意された、人生のいつくかの舞台、すなわち、子どもの頃、思春期、それから 、大人になってからの時期を描く時、私どもはその礼拝に対応する「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」について、注意してね、と申し上げましたね。この「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」とは、「弱い立場の人に『正しいこと』を押し付ける道徳主義」、「『自分が一番正しい』とする(アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちみたいな)全体主義」、それから、「本当は自信(本当の自分)がないからこそエバル、『人間を上下2つに分けるウソ』を信じて、自分を『上』にしたい権威主義」です。
「〇〇教を信じてます」、「〇〇教徒です」と言っても、礼拝をしているとは限りません。私の経験と感覚から申し上げて、エリクソンが言う「形ばかりの偽物の礼拝」にしか参加してないケースが少なくない、と感じています。ましてや、ゼニカネ以外を信じていない人は、「形ばかりの偽物の礼拝ごっこ」だけ。
今のニッポンが、ウソとゴマカシだらけなのは、本物の礼拝があまりにも少ないこと、毎日の礼拝がないことが真の原因です。
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