エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

笑いと教育

2016-02-08 07:36:29 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
星がこんなに美しいと思ったことなどありません
  夜空の星々を見つめたら、永遠を思わざるを得ないでしょう。 『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p67の最後の行途中から。...
 


 

 笑いには、いろんな笑いがあるそうですね。ジョーク、エスプリ、ウィット、ユーモア。笑いを表わすオノマトペでも、カラカラ、ニヤニヤ、キャッキャッ、ニタニタ、いろんな笑い方があるみたい。

 日々、「遊びのオジサン」として子どもと遊んでいる私としては、いつも笑いを大事にしています。なぜなら、≪陽気で楽しい≫ことを大事にしたいからです。子どもは、特に今のニッポンの子ども等は、≪陽気で楽しい≫ことに飢えていますから、笑いにとても敏感です。

 でもね、この≪陽気で楽しい≫笑いは、ユーモアです。宮田光雄先生が≪解放としての笑い≫と呼ぶものですね。それは、「自分を笑う」こと。先日も給食を四年生の教室で食べている時に、ある男の子が「オジサンの服にパン屑が付いてるよ」と教えてくれた時などは、間髪を入れずに「オジサンが出っ張ったお腹が、受け皿になってんだね」と言えば、周りの子ども等は大笑いでしたよね。

 自由は「自分に由る」ことですが、その自分は「我利我利亡者」の我ではありません。むしろ、その我、面子や面目から自由になることが「自由」であり、≪本当の自分≫になることでしょ。自分で自分のことを笑う解放感って、体験すれば、ひとしおですよ。言葉で表すことが出来ない「自由」を味わうことが出来ますから。それは実は「一つの人類」「人間皆兄弟」を、小難しいことを一言も語らずともに、毎日の生活で実現することです。

 今のニッポンの学校で流行りの「人間を上下2つに分けるウソ」の信者さんに堕落した教員らが、ニッポンの学校の現実も知らないで、面子と面目を守って、人を笑う、嘲笑、冷笑をしている間に、ドンドン「真の教育」からも、子どもの心からも離れてしまっているのと、自分を笑い、人も自分も「我」から解放してくれる、ユーモアとは対照的、真逆です。

 いまここからあたなも、子どもと一緒に、ユーモアを笑ってみませんか? それが「真の教育」の近道ですからね

 

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