星がこんなに美しいと思ったことなどありません夜空の星々を見つめたら、永遠を思わざるを得ないでしょう。 『The Sense of Wonder 不思議を感じる心』から p67の最後の行途中から。...
笑いには、いろんな笑いがあるそうですね。ジョーク、エスプリ、ウィット、ユーモア。笑いを表わすオノマトペでも、カラカラ、ニヤニヤ、キャッキャッ、ニタニタ、いろんな笑い方があるみたい。
日々、「遊びのオジサン」として子どもと遊んでいる私としては、いつも笑いを大事にしています。なぜなら、≪陽気で楽しい≫ことを大事にしたいからです。子どもは、特に今のニッポンの子ども等は、≪陽気で楽しい≫ことに飢えていますから、笑いにとても敏感です。
でもね、この≪陽気で楽しい≫笑いは、ユーモアです。宮田光雄先生が≪解放としての笑い≫と呼ぶものですね。それは、「自分を笑う」こと。先日も給食を四年生の教室で食べている時に、ある男の子が「オジサンの服にパン屑が付いてるよ」と教えてくれた時などは、間髪を入れずに「オジサンが出っ張ったお腹が、受け皿になってんだね」と言えば、周りの子ども等は大笑いでしたよね。
自由は「自分に由る」ことですが、その自分は「我利我利亡者」の我ではありません。むしろ、その我、面子や面目から自由になることが「自由」であり、≪本当の自分≫になることでしょ。自分で自分のことを笑う解放感って、体験すれば、ひとしおですよ。言葉で表すことが出来ない「自由」を味わうことが出来ますから。それは実は「一つの人類」「人間皆兄弟」を、小難しいことを一言も語らずともに、毎日の生活で実現することです。
今のニッポンの学校で流行りの「人間を上下2つに分けるウソ」の信者さんに堕落した教員らが、ニッポンの学校の現実も知らないで、面子と面目を守って、人を笑う、嘲笑、冷笑をしている間に、ドンドン「真の教育」からも、子どもの心からも離れてしまっているのと、自分を笑い、人も自分も「我」から解放してくれる、ユーモアとは対照的、真逆です。
いまここからあたなも、子どもと一緒に、ユーモアを笑ってみませんか? それが「真の教育」の近道ですからね。
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