エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「魂の純粋さ」としての信頼

2016-02-04 02:33:49 | アイデンティティの根源

 

 

 
どこにでも不思議に気付く眼がありますようにね。
  私どもは、風の中にも永遠を感じることができます。ギリシャ語で風と魂とは同じ言葉、プネウマであるくらいです。 『The Sense of Wonder 不思...
 


 

 今のニッポンは、信頼の貯金がとうの昔に破綻しています。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.255の、14行目から。

 

 

 

 

 

 最初の舞台で、歴史経過がすでに働いていることが分かります。歴史を記述することは、したがって、歴史的事件が育ちつつある世代に対する影響を一覧表にするべきでしょう。それは、歴史的な出来事が、育ちつつある世代に対して影響することが、将来歴史に貢献する、その質を判断するためですね。幼いマルティンについて申し上げれば、私は最初の時期に関する結論を出してきました。この時期は、マルティンの母親は、「赤ん坊のマルティンは私のものだ」と言い張る時であると同時に、マルティンは実際に、まだ、すべて母親のものでもあった時期ですが、マルティンの母親は、マルティンに根源的信頼の泉を1つ、プレゼントしたに違いありませんし、その泉から、マルティンは一番大事な神への信頼を求める戦いをする際に、根源的信頼を引き出したのでした。その一番大事な神への信頼こそは、意志、良心、理性すべての前にあり、まさに「魂の純粋さ」である信頼なのですから。

 

 

 

 

 

 素晴らしいですね。マルティンのお母さんについては、エリクソンはあまり触れていませんし、ここでも想像の域を超えていない記述ですけれども、ルターが宗教改革の戦いを戦えた、その信頼の深さを逆にたどる形で、お母さんからもらった根源的信頼が豊かだったはずだ、と言ってる訳ですね。1人の人の豊かな信頼が、人間らしい生き方をもたらしてくれた、歴史的証左だ、とエリクソンは言いたいのでしょうね。

 

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