「ならず者、偽善者、オベンチャラ」が口にする、耳に響きが「良いこと」、それは100%「ウソとゴマカシ」です。たとえば、「女性が輝く社会」という、一見耳にやさしい言葉は、何百万の女性が10時間以上働いても貧困に喘ぎ、また、幼子を抱えた女性が、保育所がなかなか見つからず、見つかって仕事をしても、その職場で差別され、差別されたくなければ、長時間労働と家事と育児の重た~い負担を背負い込まなくてはならない現実を隠蔽するために使われてる「ウソとゴマカシ」です。
p228のブランクの後から。
ここから、全く新しい出発をすることをお許しくださいね。動物たちを使う科学的人間を見てみることにしましょう。動物たちも、黄金律に含まれる「他の」法則に近付くのかもしれないと決めてかかりましょう。みなさん、心理学者ですから、ハリー・ハーロー教授が、サルの心とハーロー教授が名付けたものが発達することを研究したことをご存じですね。ハーロー教授はそれはそれは見事な実験をして、実験室のサルの命を使って、母親の変数をコントロールすることを試みる実験を写真に収めましたね。ハーロー教授は、生後数時間の内に、母親から赤ちゃんザルを取り上げ、母親から引き離した上で、その赤ちゃんザルを、針金制の「母親」、金属制の「母親」、木制の「母親」、タオル地制の「母親」と一緒にしたのでした。真ん中あたりに、ゴム製の乳首があり、パイプから牛乳が出ましたし、奇妙奇天烈な機械は、人肌に温められていました。この母親の条件の「変数」はすべてコントロールされてました。すなわち、揺れの量、「肌」の温度、母親役のモノに必要な、赤ちゃんザルに安心と安楽を与える、まさにその傾向、という変数はコントロールされてました。数年後、この方法がサルの心の発達を研究するものとして発表された時、臨床家たちは、このちっちゃなサルたちが、この奇妙奇天烈な機械に対してハッキリ示す愛着が、果たして本物の「サル」の心なのか、それとも、心を持ち合わせないモノに対する、倒錯的な依存なのか、疑いましたね。
有名なハーロー教授の実験。教育心理の教科書にも写真付きで、「必ず」といっていいほど出てくる実験ですね。
でも、エリクソンはどうやらこのような実験そのものに懐疑的ですね。現実の母親をハーロー教授が言うような「変数」に置き換えられるほど、単純じゃぁないからでしょう。ですから、ハーロー教授がいくらその変数をコントロールして実験しても、その結果が示すことが、本物のサルの心など示していない、とエリクソンは感じてんでしょう。このような実験に晒されたサルは、もはや「本物のサル」じゃない。ですから、その実験が示す結果、その「偽物のサル」が示す「愛着」も、おぞましい倒錯した依存だ、と疑っているわけですね。
おしなべて実験心理学のやってることは、近代物理学をモデルにして、「変数」を単純化してなされるもので、リアルな人間を歪にし、歪めたものが多いと、臨床をしていると感じることが多いですね。
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