無知の知こそ、あらゆる賢さの基です。
p69下から2行目途中から。
最高神は、名づけることができない、というのが、老子の思想の結論です。究極的な現実は、究極的な唯一神は、言葉でも思想でもとらえることができません。老子曰く「歩くことができる道は、永遠に続く、変わることなき道。名づけることができる名前は、永遠に続くこともなければ、変わるずにいることもない名前」と。あるいは、別の言い方ですと、「視れども、見えず。私どもはこれを、『夷』と名付ける。聴けども、聞こえず。私どもはこれを『希』と名付ける。掴めど、攫めず。私どもはこれを『微』と名付ける。この3つの性質は、記述することなどできない。この3つを一つになる」と。さらに同じ考えには、さらに別の言い方があります。「(道を)知るものは、(道を)語らず。しかし、その道を話す(ことができる)者は、その道を知らず」と。
老子の言葉も難しい。でも、神様の名前が隠されているのは、ユダヤ・キリスト今日と同じ。ハァハァハぁ(☺)。
老子の道は、アイデンティティに似ている。自分を確かにする道に似ている。
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