私がまだ早稲田で学んでいた時に、西村秀夫先生から、クリスチャンの生き方について、教えていただいたことがあります。それは、矢内原忠雄先生の文書によってでした。いま、それが『矢内原全集』の何処にあるのか見つからないのですが、西村秀夫先生が、NHKの「こころの時代」に出た時に、同様な話をしていたので、そちらを参照してください(http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-116.htm)。
西村秀夫先生が教えて下すったクリスチャンの生き方の第1は、「旗印を明確にせよ」ということです。自分がクリスチャンであるという立場を明確にしなさい、ということです。本田哲郎神父様は、そのためには、「包丁」が必要だ、といいます。強盗でもしようというのでしょうか? 『釜ヶ崎と福音』p.192~
わたしが来たのは、…平和を投げ与える為ではなく、包丁を入れるために来たのだ。…(マタイ10 34-35節)
…世の貧しく小さくされている人たちの忍従と沈黙によって維持される「平穏無事」は、イエスにとって、平和実現のさまたげ以外の何ものでもなかったということです。
じっさいイエスは、立場を鮮明にすることによって、「包丁を入れる」こと(バッレイン マカイラン βαλλειν μαχαιραν)を実行しました。
…イエスは見せかけだけの平和、弱い立場の者に犠牲をしいるだけの和解、うわべだけの一致には、我慢ならない人でした。イエスは少しのあいまいさもなく、貧しい側、しいたげらける側に立ちました。
どうですか? 一心不乱に、神様に従って生きようとする人たちは、不思議に一致してきますでしょ。
自分が得する立場、強い方にすり寄る生き方をしているあなた、180°の転換をして下さいね。
私どもも、クリスチャンでなくても、「本物の生き方」をして生きたいものですね。
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