リチャード・コート、木鎌安雄神父様・訳の『笑いの神学』から。p146~。今宵も、筆者が改訳しています。
私が強調したいのは、神様を信頼しても、信頼して神様の生き方をしても、それだけでは、退屈さを防げない、ということです。だって、使徒たちも、イエスの使命の旅の大事なところで、居眠りしてたでしょ。私がここで退屈と言っているのは、スピリチュアルな退屈のことです。スピリチュアルに退屈していると、≪いまここ≫がどれだけ大事か、分からなくなります。自動運転で毎日を過ごしていたら、毎日していることがどれほど尊いものか、解らなくなりますから。
スピリチュアルにイキイキしていることが大事。≪いまここ≫がとても尊い、ということが解かるから。
死を意識すると、≪いまここ≫がとても大事と解かる。だから、自分がその≪いまここ≫をどのように生きたいか? を真剣に考えて生きられる。先日ご紹介した、岡田圭さんの話に出てきましたね。
また、息を意識すると、≪いまここ≫がとても大事だと解かる。息を意識すれば、おだやかな気持ちになれるから、そのおだやかさの向こうに、「何をして、何のために生きるのか?」というアンパンマンのテーマを歌うことに繋がっている、と解かるから。
面白いでしょ。
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