PTSDがあると、自己評価が非常に低くなるみたい。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.235の、第4パラグラフから。
非常に大事な課題は、自分が知っていることを認めることです。それには、猛烈なエネルギーが必要です。『ベトナム戦争に行くこととは』の中で、カール・マーランティスは、素晴らしく実戦的な海兵隊の小隊に所属していた自分の記憶と格闘して、自分の中に見つけた怖ろしいバラバラな自分と向き合います。
「何年もの間、私はそのバラバラな自分を癒さなくちゃ、とは思いませんでした。それに、そうしなさいと、教えてくれる人も1人もいませんでした…。私の中には1人の人しかいないと思いこんだのは、何故だろう…。人を傷つけ、殺し、拷問することを大事にすることが私の一部になっていました。(しかし、)その一部分が、私の全てではありません。私には正反対の部分もあります。それは私が誇りに思うところです。私は単なる人殺しなの? いいえ、でも、人殺しは確かに私の一部だ。私は拷問する者なのか? いいえ、でも、拷問する自分も、確かに私の一部だ。恐ろしくなったり、悲しくなるのは、子ども虐待の新聞記事を読むときなのか? そうです、でも、自分は陶酔しているのか?」
戦争に関わる体験と、その時の気持ちを受け入れられないのが、人情かもしれません。しかし、そのままでいたら、自分がバラバラなままでいたら、PTSD始め、いろんな心の病に苦しむことになります。
自分がバラバラな場合、1つにまとめる力と、その力を育て合う仲間が必要です。
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