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Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,Speciation and Ritualization 人間を上下に分けて見ること と 日常生活を礼拝にすること の p.75,最初から。2訂版。
第一章の結論で、私が提案したことは,まさに、「人類を上下に分ける見るウソ」の条件かもしれません。この「人類を上下に分けて見るウソ」によって,陽気で楽しいことも,自由に源にもなれば,奴隷の源にもなりますし,関わり合いを増す元ともなれば,想像力を悪いものにする元ともなりますし,人生を豊かにする源泉にもなれば,様々な死の元凶にもなります。なぜならば,人類最古の遺産,すなわち,自分を憎むことと他者を憎むことがお互いに結びつく運命によって,「人類を上下に分けて見るウソ」は,人類史を現在の核の時代まで支配しているからです。しかしながら,私がここで強調したいことは,人類は1つ,とする見方も,人類の一部が全て,とみる見方も「人類を上下に分けてみるウソ」ではない,ということです。私が特に申し上げたいのは,人類には,「人類を上下に分けて見るウソ」に至る傾向が人の心に組み込まれている,ということで,一定の条件がそろった時には,まるで人類が別々な人種であるかのように,人類をバラバラにしてしまいます。
エリクソンは,ヒットラーや第3帝国のことを意識していたはずです。
私どもは,津久井やまゆり園や座間市の事件を思い出すでしょ。
「人類を上下に分けて見るウソ」に傾く心の習慣を防ぎ,人間を平等で対等なものと見る心の習慣をはぐくむことが大切です。その叡智こそ,日常生活を礼拝にすることです。
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