#ギラギラ に #騙されている者たち は #使い捨て
#厳しく躾過ぎ #アメリカの機械化の時代 #ニッポンは子捨ての時代 #抑圧された記憶の科学 #保守的な精神医学の世界 発達トラウマ障害(DTD)のご相談......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,第2章第3節「毎日礼拝」の件が終了。
第4節「毎日礼拝の復権」の途中,P.116の第3パラグラフから。
今朝は,その6行目から。
毎日礼拝があまり役に立たないなどという様々な疑問全てに関して,2つだけ言わせてくださいね。私が申し上げたいことは,第1に、かつてないほど全人類を巻き込み,とても危ういバクチにもなるかもしれい見通しのない中で,今日の工業化した文明が試みている様々な生き方を探し出すこと,すなわち,人間の赤ちゃんの時期を,改めて毎日礼拝にすることが大事だ,ということです。第2に,大人同士の関係の在り方も,さまざまな学問を巻き込んだ研究が必要になることでしょう,という事も申し上げたいのです。
チャップリンのモダンタイムスが劇画的に描いている様に,工業化が進展すると,人間も機械の歯車になりやすいでしょ。学びや仕事の全体性を自覚的に考えずに,目の前の些事に埋没しても,何の疑問も感じなくなるほど,五感が鈍くされてしまいます。昨日申し上げましたように,五感が鈍くされていると,生きている実感が乏しくなりますから,人生は無意味だ,と的外れに誤解しやすいのではないでしょうか?
エリクソンは,赤ちゃんの時期を毎日礼拝にすることが大事だ,というのは何故でしょうか?
それは,お天道さまの様にいつもそばに居て,しかも、バカボンのパパの様にいつも「それでいいのだぁ!」と肯定し続けて下さる,アガペーの聖書の神様が腸に染み入り,感謝感激感動の驚きの歓びを生きていたはずにエリクソンにとっては,その感謝感激感動の驚きの歓びの源が,赤ちゃんとお母さんの関係を自由対等友愛の関係に整える毎日礼拝から始まることを腸に沁み入るほど実感していましたから,それを皆さんとも分かち合わずにいられなかったんでしょうね。
私もこのブログでお話し,SNSでもお伝えするのは,エリクソンの物真似です。
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