エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人の痛みを自分の痛みにできる、大きな優しさ

2015-08-15 09:12:36 | エリクソンの発達臨床心理

 

 内省しているから、すなわち、自分自身と対話が出来るから、いろんな人とも対話ができる訳ですね。逆も真なりで、内省してないと、自分自身と対話がありませんから、いろんな立場の人とは、対話もできない訳ですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p68最初から。

 

 

 

 

 

 stagnation 「異性や異世代と対話が出来ず、支配したり、ホッタラカシにしたりすること」は、あらゆる人生の舞台のアンチテーゼと同様、この舞台でも中核的な心の病の特色となりますし、もちろん、以前の舞台での葛藤に退行することも含みます。でもね、これは、この舞台特有の重要性もあるんですね。これは、お示ししましたように、今日的な重要性が特にあるんですね。「性的な不満」が病的だと考えられる時代ですからね。それなのに、世代間の不満はね、バース・コントロールという時代の技術倫理によれば、病的だとはみなされません。しかし、昇華するだとか、より広い範囲に適応するだとか、不満を募らせたエネルギーを一番上手に使うものだとされます。このようにこんにち、以前から申し上げていますように、新しい世代間の倫理には、すべての子どもたちの生活の質を上げていくことに、universal care 「弱い立場の人を、自分が損をしても、大事にする、世界標準の力」がなくてはならなくなりましたよね。このような新しいcaritas 「人の痛みを自分の痛みにできる、大きな優しさ」のおかげで、発達した大人たちは、今まさに発達している子どもたちに対して、コンドームと食糧の詰め合わせの他に、イキイキした陽気で楽しい関わりをプレゼントすることができます。もちろん、生まれくる子どもたちみんなに、衣食住を提供することは当たり前田、ですがね。

 

 

 

 

 

 エリクソンが示してくれるヴィジョンは、実に素晴らしいものですね。それに比べたら、アベシンちゃんの「談話」は、情けないくらいにヴィジョンのかけらもありませんでしたね。エリクソンは、新しい世界標準のカリタス、「人の痛みを自分の痛みとする、大きな優しさ」がありましたけれども、アベシンちゃんは、頭とお腹がやっぱり弱いでしょ、「人の痛み」に全く実感が持てないんですね。自分の悪魔の仲間たちにしか通用しない、タコツボに中でも、一番小さく、それでいて利権にまみれたタコツボにしか通用しない「人類に対する犯罪」をまた、しでかしている訳ですね。

 私どもは、ですから、エリクソンの言う「人の痛みを自分の痛みとすることができる、大きな優しさ」に学ぶべきです。

 

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