最深欲求
生死の意味を理解するためには、<私>と相手を繋ぐ絆と、その絆を支える、この世を超えた人格(的価値)が必要なことが分かりました。<私>と相手の絆が必要なことは分かりやすいのですけれども、それでは なぜ、<私>と相手の繋ぎ役がこの世的であってはならないのでしょうか? それは、「金の切れ目が、縁(絆)の切れ目」になる程度の絆では、生死の意味を理解するのに、役立たないからでしょう!
乾燥ワカメ、御御御付けに入れても良し、サラダに和えても良し、とっても便利ですね。でも一番の長所は、腐らないこてじゃぁ、ないかしら?
最初に、乾燥させるとワカメは腐らないことに気づいたのは誰でしょうか?シイタケや干ぴょうも乾燥させれば腐らないことに気づいたのは誰? それは冷蔵庫がない時代、食料も春から秋はともかく、冬には絶対的に足りなくなった時代に、何とか保存食は作れないものか、といつも繰り返し考えていた人が、「あっ、天日に当てれば、腐らない」と気づいたんじゃあ、ないかしらね。
最深欲求も、日頃から繰り返し考えていると、その答えがふと湧いてくる、眼の前に来た時、文字通りプレゼント(pre 「前に」+sent 「ある」)ということになるのだろうと思います。
そのためには、「そんな答えは見付からない」「無理、無理!」と諦めてしまうのじゃぁ、なくって、「どこかに応えはないかしらね?」と繰り返し考えながら、毎日を過ごすことが、小さいことのようで、とっても大事なんですね。
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