教育は、教え、教えられること学校では、「先生」と「生徒」がいます。そこに入っている大人は「先生」と呼ばれます。「遊びのオジサン」である私は、「先生」と呼ばれることを避けたい気持ちでいっぱ...
「生きている」って、どういう意味でしょうか? いつも穏やかにしていることが生きている、ということでしょうか? 無知無恥夫婦のように、ションベンが漏れそうな怒鳴り声で、まるで調教師のように、子どもを有無を言わさず従わせないと気が済まなかったり、見え透いたウソにウソを重ねて、相手を思い通りにしなくてはいられなかったり、というような重症の依存症の生き方しかできないことが生きていることのなるのでしょうか? アザケリ顔か暗い顔。そんなものは、「生きている」と言う言葉に値しないのは、火を見るよりも明らかです!
今日も、山浦玄嗣さんの言葉に学びたいと思います(『イエスの言葉 ケセン語訳』から)。今の聖書では、「永遠の命」と訳されてしまう「ゾーエー・アイオーニソス」について述べているところです。
「ゾーエー・アイオーニソス」とは「(一生の間)いつでも楽しく幸せにピチピチ元気に暮らすこと」という意味だということになります。…ヨハネ福音書六章四七節に「信じる者は永遠の命を得ている」(新共同訳)という言葉があります。これはうっかりすると、「神さまを信じる者はこの世の命を終わってから天国に入る資格をいただいている」という意味に取りがちです。しかし、イエスが言いたいことはそうではありますまい。「神さまを本当に力頼りにしている人は、いつでも明るく元気に活き活きと暮らすことが出来る」ということだと思います。
「永遠の命」となったら、浮世離れした感じ、頭の中だけの知的な遊び、日曜だけ、礼拝の時だけクリスチャンということになるのじゃぁないかしらね。
でも、山浦玄嗣さんが教えて下さるように、「いつもイキイキ、ピチピチ生きること」だと分かれば、毎日を陽気に楽しく暮らすこと、その中で助け合って生きることだと実感できますから、毎日の暮らしが、ガラリと変わります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます