エリクソンは、心の根っこにある傾向をはたして変えられるものなのかどうか、という疑問にどう答えるのか? それが問題です。しかし、今日はその前に、人間らしさと人間らしい力について、大事な点が教えられます。それは信じることに関係します。翻訳します。
ジョージ・W・ボールは、戦争が起きた時、起きた所にいたまさに張本人ですが、『合理性の罠』という注目すべきコラムを出版しました。その著書の中で、ボールは、「シンクタンクの戦争」とキャプションを付けられたことに対して、異議を唱えました。また、ペンタゴン・ペーパーの対話と呼ばれていること、すなわち、ゲーム理論とシミレーションモデルを戦争に応用したことにも異議を唱えていました。私どもは、腕もあり、信頼もできる玄人の手になるシナリオが、専門的に有益なのかどうかということは、ここでは問わないでおきます。それよりも問われるべきは、まさに危険に晒されているのは、シナリオが持つ「自然な」力である、ということです。その力とは、つまり、信じることにあまりにも飢えているので、技術的な小道具によって、現実以上のリアリティがシナリオにあると思い込んだ人々に対する、そのシナリオの影響力のことです。ペンタゴン・ペーパーは、「ベトナム戦争の純粋な作戦遂行としての側面にこだわる強迫観念へと導くものだ」と訴えてから、ボールは、この記念すべき結論に達します。
一群の、有能で、一生懸命な人たちが道を踏み外したのは、戦争を非人格化した上に、戦争を、資源を配分する練習問題であるかのように扱いすぎた時、私どもはベトナム戦争の他の側面にある最高の長所が見えなくなったから、なのです。その別の側面とは、目には見えないこと、すなわち、意志の要素であり、目的と忍耐の要素であり、苛酷だが、ひとつの対象に絶えず命を懸けて関わる要素です。…しかし、それこそ北ベトナムの勝利の秘密ですし、数の論理に対して魂が叫んだ非難です。
今日の翻訳はここまでとします。
今日のところは、評論の引用が中心なのに、まるで、『星の王子様』ですね。目には見えないものがモノや数に勝利すること、権力が作ったペンタゴン・ペーパーは、その真実から人々の眼を奪い取って、モノと数でこしらえた現実が優っているかのような幻想をもたらすシナリオに眼を眩ませるものだ、という主張が、ボールの指摘であり、エリクソンの主張でしょう。
それから、モノと数でこしらえた現実が優っているかのような幻想を、死に物狂いで信じ込むのは、目には見えないことが信じられないことが根っこにあるというボールの指摘は、「まさに注目すべき」非常に大事な命題です。
心の根っこにある傾向が変わりうるのかどうか、エリクソンはなかなか言ってくれません。しかし、今日はこんなところで失礼します。
ジョージ・W・ボールは、戦争が起きた時、起きた所にいたまさに張本人ですが、『合理性の罠』という注目すべきコラムを出版しました。その著書の中で、ボールは、「シンクタンクの戦争」とキャプションを付けられたことに対して、異議を唱えました。また、ペンタゴン・ペーパーの対話と呼ばれていること、すなわち、ゲーム理論とシミレーションモデルを戦争に応用したことにも異議を唱えていました。私どもは、腕もあり、信頼もできる玄人の手になるシナリオが、専門的に有益なのかどうかということは、ここでは問わないでおきます。それよりも問われるべきは、まさに危険に晒されているのは、シナリオが持つ「自然な」力である、ということです。その力とは、つまり、信じることにあまりにも飢えているので、技術的な小道具によって、現実以上のリアリティがシナリオにあると思い込んだ人々に対する、そのシナリオの影響力のことです。ペンタゴン・ペーパーは、「ベトナム戦争の純粋な作戦遂行としての側面にこだわる強迫観念へと導くものだ」と訴えてから、ボールは、この記念すべき結論に達します。
一群の、有能で、一生懸命な人たちが道を踏み外したのは、戦争を非人格化した上に、戦争を、資源を配分する練習問題であるかのように扱いすぎた時、私どもはベトナム戦争の他の側面にある最高の長所が見えなくなったから、なのです。その別の側面とは、目には見えないこと、すなわち、意志の要素であり、目的と忍耐の要素であり、苛酷だが、ひとつの対象に絶えず命を懸けて関わる要素です。…しかし、それこそ北ベトナムの勝利の秘密ですし、数の論理に対して魂が叫んだ非難です。
今日の翻訳はここまでとします。
今日のところは、評論の引用が中心なのに、まるで、『星の王子様』ですね。目には見えないものがモノや数に勝利すること、権力が作ったペンタゴン・ペーパーは、その真実から人々の眼を奪い取って、モノと数でこしらえた現実が優っているかのような幻想をもたらすシナリオに眼を眩ませるものだ、という主張が、ボールの指摘であり、エリクソンの主張でしょう。
それから、モノと数でこしらえた現実が優っているかのような幻想を、死に物狂いで信じ込むのは、目には見えないことが信じられないことが根っこにあるというボールの指摘は、「まさに注目すべき」非常に大事な命題です。
心の根っこにある傾向が変わりうるのかどうか、エリクソンはなかなか言ってくれません。しかし、今日はこんなところで失礼します。
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