エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

心の根っこにある傾向は変えられるの?

2013-05-25 04:56:27 | エリクソンの発達臨床心理
 鋭い政治学者ハンナ・アーレントならではの、鋭い現実認識がエリクソンによって紹介されました。それを受けて、今度はエリクソンの鋭い現実認識が示されます。それでは翻訳です。





 アーレントが示唆した二つの結論は、私どもにも当てはまります。つまり、こういった嘘は、重要な歴史的な側面で、「過去の歴史という背景」を超えていくのです。その嘘そのものが、完璧な力強い物語であるばかりではなく、まさしく、人間の心の根っこにある傾向なのです。

嘘をつく能力、事実に基づく真実を故意に否定すること、事実を捻じ曲げる能力、振りをする能力は、互いに関係しています。こういったことが存在するのは、同じ源、すなわち、想像力のおかげです。したがって、私どもが嘘をつくこと、特に、振りを演じている人々の中で嘘をつくことを話題にする際には、嘘が政治に忍び込むのは人間が罪深いという偶然のなせる業ではないことを自覚しておきましょう。つまり、道徳的に憤慨しても、それだけで、嘘を消し去ることにはならない、ということです。

 これこそ、私どもがなすべきことだと思われます。つまり、実際に、人間の心の根っこにあるこの傾向、すなわち、様々なシナリオを想像するあの能力、そのシナリオは、適当なビジョンを探す際に、振りとして役立つかもしれませんが、行動を、情の面から見る時だけではなく、経験的知識の面から見ても高級品にまで高めてくれるかもしれないシナリオのことですが、この心の根っこにある傾向、あのシナリオを想像する能力は、はたして変えられるものなのかどうか?
 この関係で、いわゆるゲーム理論は、特別な評論を受けてきました。トム・ウィッカーが言っています。「戦争の仕掛け人たちは、(戦争を)もはや戦争として見るのではなく、外国に行ってやるゲームとして見ている感じです。彼らにとっては、戦争で使う爆弾は、単なる合図であり、戦争がもたらす死は、人の命とは何の関係もありません。」




 ちょっと中途半端な感もありますが、今日はここまでにいたします。しかし、ここでも重要な指摘がありました。すなわち、ハンナ・アーレントが指摘した結論と関連した指摘です。すなわち、ひとつは、政治の世界で嘘は、嘘の自覚がないまま繰り返される、ということですし、もうひとつは、その嘘を言うことは、心の根っこにある傾向である、ということです。これは、政治の世界の人だけに当てはまるのではなく、当然、私どもにも当てはまるということがポイントです。
 ですから、権力者の嘘に似ている親の嘘の場合も、嘘の自覚がないまま繰り返される、ということですし、また、その嘘をつき続けるのは、心の根っこにある傾向である、ということです。さらに申し上げれば、親の嘘を支える心の根っこにある傾向は、はたして変えられるものなのかどうか? ということでしょう。
 それにエリクソンはどう答えることになるのでしょうか?
 それは、続きをお楽しみにしていただきとうございます。
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