人を大事にする時でさえ、交換して得することしか考えない。愚か者。
p4の第2パラグラフ。
人を大事にすることなど学ぶことはない、などという前提に繋がる第三の過ちは、恋に「落ちる」最初の経験と、人を大事にするという、不変の状態、あるいは、人を大事にする事に「踏みとどまる」状態を混同している、ということですね。もし2人が見知らぬ同士で、私どもみんなと同じように、2人を隔てる壁を不意に壊して、親しみと一体感を感じるのならば、この一体になる瞬間が、人生の中で、最も気分爽快で、最もドキドキする体験の一つになるでしょう。その瞬間は、バラバラで、孤立し、人から大事にされたことがない人たちにとっては、なおさら素晴らしく、なおさら奇跡的です。不意に親しくなるという奇跡が生まれるのは、性的な魅力とセックスのクライマックスが結び付くか、端緒となるか、そのどちらかの場合が多いのです。しかしながら、この種の、人を大事にすることは、その性質からして、長続きはしません。この2人はお互い馴染んできますし、2人の親しみは次第に奇跡的な性質をなくしてきますが、終いには、2人は、敵意、失望、退屈さを感じて、最初のドキドキした感なくしていることに気づきません。お互いに「夢中」だと感じることが、2人がお互いに相手を大事にしている強さを証明するものと思われがちですが、お互いに「夢中」であることは、2人が今まで述べた一人ぼっちである、その程度を証するだけなんですね。
相手に夢中になるのは、自分が1人ぼっちであることを示すだけ。相手を大事にすることにならない。セックスの最高潮の時に、最も親しくなった感じになるし、それは言葉にできないほどの素晴らしい奇跡的な経験だと感じるものです。でもね、それはフロムが言うように、一瞬で過ぎ去るもの。身体が離れれば、再び一人ぼっちを感じることになります。
私どもはどうすれば、人を大事にする気持ちをずっと続けていくことができるのでしょうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます