見当識がどんなものなのか、その選択が人生の選択にも等しいことがお分かりいただけただろうと思います。しかし、そんなことは、それこそ意識しないで生きている方が、大多数ではないでしょうか? 「見当識の選択」とは、難しい専門用語で、私の翻訳の基本方針「むずかしいことをやさしく」(井上ひさしさんから学びました)に反します。「見当識の選択」とは、「どんな夢、どんな人生の目標を持つのか、それをハッキリ意識すること」です。
私どもの例では、直立して立つ姿勢のイメージが、心理性的発達の「移動と性」の舞台(段階)に典型的と考えられる象徴やテーマと関係していることが分かります。それから、「移動と性」の舞台(段階)では、性的好奇心が強いので、好奇心の強い理解とも関連があることも分かります。その赤ちゃんたちの先頭にオエライ夢魔がいる形は、実際、私が知っている積み木遊びのベッドシーンの中では、まったく特別な形です。しかし、そのイメージが、どんな内的理解を反映していたとしても、その昔に人類が立ったという元型的テーマであることは明らかです。男根のテーマは、次に、真に明らかになるのは、私どもが、このブロックの積み木を、いわば横から見た場合です。その次に、私どもは消防車のハシゴが水平方向に突き出ているのが分かります。このようにして、囚われずに体、両腕と体全体を、伸ばすという、一般的なテーマを強調することになります。低さという反対のテーマを私どもが見て知るのは、「下」にいる、女の赤ちゃんの夢魔たちにおいてばかりではなく、あらゆる被造物の中で「最も低い」被造物、すなわち、地を這うように運命づけられたヘビにおいてもそうなのです。そのヘビは、その興奮した人間たちに軽蔑されるばかりではなく、他のすべての動物たち(その動物たちは、最高の動物、すなわち、百獣の王であるライオンに導かれています)に、隅に追い詰められ、攻撃されてもいます。しかし、もしこれ等の形が本能的な危険と男根の舞台(段階)の空想を表すのならば、私どもが根源的葛藤の重たい残りカスがあると分かるのは、積み木のまさに天辺にいるブロックの少年が仰向けになっている事実においてです。ロバートが証明したのは、ロバートがこれらのおもちゃたちの立たせ方を、両手を広げた格好のさせ方と合わせて、知っていたことです。しかし、このおちもちゃたちの中で最も高く最も人目にさらされているこの少年の人形は、落っこちる最大の危機の中にいるのでしょうか?
ロバートの積み木は、実に様々なことを思わせるものです。中でも、ロバートの根源的葛藤の重たい残りカスをみるのは、ロバート自身を投影したと考えられる人形が仰向けになっていることだそうです。それがなぜなのかを考えながら、この続きを読んでいただけたらと、と思います。
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