ルターは記憶力がいいのに、聖歌隊での発作については、覚えていないとしたら、それはおかしな話です。
この発作のエピソードに似たことが起きていたとしたら、それは、一連の、意味のない病的発作の1つと見なされたのかもしれません。あるいはまた、一連、宗教的に関わりのある経験の1つと見なされたのかもしれません。それは、聖パウロや聖アウグストゥスや、多くの聖人らしさを望む望み手達が経験してきたような「宗教的な発作」のいくつかの印があるのは、シェール先生でさえ示す通り、確かです。しかしながら、全く意外な事実の目録がいつも、圧倒的な幻と意外な洞察を含んでいるものです。聖歌隊での発作が示しているのは、1つの全く意外な事実の、前兆となる、それだけ病的で防衛的な、側面だけです。すなわち、意識を部分的になくすこと、体の働きがバラバラになること、苦しんでいる人は自分が話しているとは気付かない、不意に大声を上げることです。
聖歌隊での発作は、パウロが経験したような宗教的発作の様に、圧倒的な幻と意外な洞察を含んでいる可能性のあるものでした。
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