エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: 一見人当たりがよく、我慢強そうな人が、実は最悪の意地悪な訳

2016-10-12 03:02:39 | 間奏曲

 

 

 
エリクソンの預言 : 人様のために生きるのか? ウソとゴマカシで結局、自己中で生きるのか? の分かれ道
   The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』p.81の第2パラグラフ、9行目途中から。     このような......
 


  Chilhood and Socirty から。p.58から。

 

 

 

 

 

 「下(しも)」に神経質な大人は、たとえば、自分の排泄について、いつでも過剰に心配しますよね。しかも、それは表向きは、衛生面の細かいところまで目を配った感じがしたり、キチンとすること、清潔にすること、時間通りにすることに拘る感じがします。…そういう人は、いつまでもガマンしたり、待ったりすることや、不意に表に出ることを嫌いますね。…そのような、≪ガマンと出す≫やり方に折り合いがついていない人は、概して、気持ちを過剰に出さなくなり、その気持ちを過剰に出さないことが性格全般にハッキリと表れます。そういう人は、遊び・ゆとりをもってやる、ということができなくなりますね。…精神分析によって、解って来たことは、意識してやっているか否かはともかく、このタイプの人は、厄介な空想を楽しんでいるフシがあり、身近にいて、押し付けがましい特定に人に対してすべてをぶちまけてしまいたいと思う暴力的な敵意も楽しんでいる感じがある、ということですね。言葉を変えれば、そのタイプの人は、大切な人たちに対して愛憎相半ばしていて、しかも、ガマンしすぎる元凶になっている善悪の基準があいまいになっていることが多いことが、同時に、他人を恣意的に独裁者の如く支配しようとすることに繋がっていることに、気付かずにいることが多いものですね。

 

 

 

 

 かくして、このタイプの人は、家庭や職場で、子どもや同僚に対して、「私だってこんなにガマンしてんだから」と意識しているか否かはともかく、「ガマン」を恣意的に、独裁者の如く、押し付けることになります。

 一見、人当たりの良いことを言ったりやったりすることもありますが、それはあくまで、見せかけで、深い憎しみを、陰で、あるいは、表で暗に、幸せそうな人にぶつけるのが常ですね

 

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