エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

労わりとしての≪真≫

2014-05-28 09:25:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ≪真の関係≫って、素晴らしい関わり合いですね。それを実際に体験すれば、だれでも嬉し泣き、男泣きでしょうね。今日はp24の下から4行目から。

 

 

 

 

 

 ≪真の関係≫が、弱い立場の人を労わることであるってことが、一番ハッキリするのは、母親が自分の子どもに対して≪真の関係≫である場合です。母親の子に対する真が、ウソとゴマカシのない真実なもの、として、私どもの心を打つことにならないのは、母親が赤ちゃんに対する世話をしないと分かった場合や、母親が赤ちゃんにおっぱいをやらなかったり、赤ちゃんをお風呂に入れなかったり、赤ちゃんに体が喜ぶことをしなかったりした場合でしょう。母親の子どもに対する≪真≫に私どもが感動するのは、母親が実際に子どもを労わっているところを、見て知った場合です。動物たちや花々に対する真でさえ、全く違いがありません。もしも、一人の女性が「お花が大好きなの」と言いながら、実際には花に水もやらないと分かれば、私どもはその女性が花に対してもつと称する≪真の関係≫をとても信用できませんね。❝ ≪真≫とは、私どもが≪真の関係≫を持つ相手の、命と成長に対して、イキイキ、ピチピチした関心を持っていることです ❞。このようなイキイキ、ピチピチした関心がなければ、≪真の関係≫などありはしません。≪真の関係≫のこの要素は、(旧約聖書の)ヨナ書に美しく描かれています。神はヨナに対して、「『悪い行いを悔い改めなさい』とニネベ市民に警告するために、ニネベに行きなさい」と命じます。ヨナが神の命に背いて逃げ出したのは、ニネベ市民が神に逆らっても、神がニネベ市民をお許しになるだろうからです。ヨナは秩序と律法に対して強烈な意識のある人物でしたが、真に対する意識が全くない人物でした。

 

 

 

 

 

 段落途中ですが、ここまで。

 さて、いかがでしょうか。母親でも、「子どものことは大事に思ってます」と言いながら、仕事優先、子どもは後回し、が現実な母親は、日本にはごまんといます。一つは、日本の労働政策がきわめて貧困で、長時間労働、サービス残業当たり前、という状況が一向に改善されない点が背景にあります。その労働環境にメスを入れずに、「山の日」休日を作ることが、「子ども騙し」であることは火を見るよりも明らかなのに、そういう議論を残念ながらあまり聞きません。そんな状況ですから、母親ばかりが悪いわけではありません。それでも、この母親が、「言ってることと、遣ってることが違う」ということを一番わかっているのは、その母親の子どもです。ですから、この母親のウソとゴマカシを、一番見抜いているのも、その母親の子どもです。「日本の労働政策は…」などと子どもに言っても始まりませんよ。自分が様々な損をしても、「言ってることと、遣ってることの一致」を目指さないと、≪真≫は子どもに通じません。

 そのことをフロムが今日もはっきり言ってくれました。

 ありがとう!

 

 

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