愛着障害の子どものケア。感情的な対応と正しいことを強要する対応が禁忌。望ましいのは、穏やかな対応と、内省的な対応。最近の小学校は、愛着障害の子どもだらけ。夏休みに仕入れて来た『愛着セラピーの手引き』に従って、最近訪問する小学校では、からなず、この愛着障害の子どもに対する関わり方の話をします。それで時々聴くんです、「内省する時間ありますか?」と。すると、たいてい返ってくる答えは「そんな時間はありません」。
教員の皆さんは、仕事に子育てに忙しい。定時の法定労働時間は、他の労働者と同様、一日8時間、週40時間と決められてます。しかし、経済協力開発機構(OECD)は、加盟34の国と地域の中学に相当する学校の教員の勤務と教育環境を調査して、2013年「国際教員指導環境調査」として発表しました。その調査結果によれば、加盟国の教員の1週間の平均勤務時間が38.3時間であったのに対して、日本の教員は53.9時間であったと言います。つまり法定労働時間よりも13.9時間、1日平均3時間、つまり、1日平均約11時間勤務をしている計算になります。+通勤時間でしょ。1日の半分は仕事、ということになりますよね。日本の学校は労働者の権利を著しく侵害する「ブラック企業」だとする見方もあるほど。現実問題、私が関わっている学校では、22時までくらい平気で多くの教員が残っているという小学校もあるくらいです。とにかく忙しい。
自宅に返れば帰ったで、家事や子育てが待っていますでしょ。家についても行きつく暇がないらしい。とにかく忙しい。
つまり、内省する時間もない、ということになっちゃう。
でもね、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」という問いを問うのは、1人の時間です。「教育とは何か?」、「子どもを教育するのは何のためか?」。それを問うのも1人の時間。こういう問いを問わずに、果たして教育はできるのか? できるはずがありませんよね。でも、忙しくて、1人の時間も持てない教育が実に多い。それは何も考えず、教育をすることになる。間違ってるでしょ?
今の小学校は、その半分の子どもたちが「愛着障害の子どもたち」です。望ましい関わりが、穏やかな関わりと、内省的な関わり。1人の時間も持てないような教員は、その関わりができませんでしょ。1人の時間を持たずに内省することなど、言語矛盾だからです。
私はハッキリと申し上げたいのですが、内省せずに愛着障害の子どもに関わるのは、それ自体が「悪」だ、ということです。ハンナ・アーレントは、ナチスの極悪非道な、ケダモノのような悪行は、「悪の凡庸さ」であると言います。極悪非道は、不思議なことに、「平凡」から生まれるのです。その「平凡」=「内省のない日常」です。
内省のない教員は、思考なき官僚でしかありません。それは「平凡」=「悪の凡庸さ」であっても、ナチスと同様な「人類に対する犯罪」の元凶であることを肝に銘じてもらいたいんですね。
忙しい毎日を過ごしているあなた、是非とも、1人の時間、クワイエット・タイムを、習慣にして、ソリチュード=「単独之幸福」を味わってくださいね。
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