私の意識レベルが上がると、必然的に私が所属しいる集団の意識レベルも上がる。覚えておきたい視点ですよね。
p358第5章の9行目途中から。
ところが、私が選んだ文脈では、ユダヤの世界でこれらの言い伝えの根っこを遡ろうとすることはできませんでした。モーゼの宗教の古代的で幼児的な源や、そこから、スピリチュアルな部分や知性を通して、次第にその宗教が自己超越することに関して、フロイトがなした劇的な推測を少しも見直しすこともできませんでした。イエスの伝道に関して申し上げれば、私はユダヤの受難に行く手前でとどまらなければなりません。ユダヤの受難の前に、ローマと聖職者の特権階級との間で交わされた政治的・宗教的取引に隠れた暴力に対して、戦闘的に、しかも、非暴力で、対決しようと決断したイエスの決断の後にガリラヤの時期が来るのでした。その取引のおかげで、非常に危険な瀬戸際に立たされていたイスラエルが何とか生き延びたんですね。ここでこそ、今報告したばかりの譬え話を押し広げることができます。人の子は、迷子になった者にだけ全身全霊で関わってくれるばかりじゃなくて、より良く自分を確かにするためにふさわしい役割を、果敢に果たす者に対しても、全身全霊で関わって下さるんですね。
ここもまさに福音ですね。イエスが力づけてくださるのは、自分自身を失って、ウロウロしている迷子だけじゃない。よりよく自分を確かにしようとする者にも、身体をはって、全身全霊で、力を与えて下さるんですから。
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