積み木を解釈する着眼点:その子ならではの要素
ロバートの作品の紹介が終わりました。その中心は挿絵の通り、スッと両手を広げて立つブロックです。しかし、その周囲には、創世記を彷彿とさせる人物や動物がいます。 このよう...
ロバートにとっても、「立つ」ことが大事なことは、エリクソンが挿絵で示した、積み木遊びを作ったことから分かります。
しかし、これは1950年代にアメリカで子ども時代を過ごしたロバートに限ったことではありません。今の日本、飢え死にする人はいないように見える社会ですが、実際には朝ごはんも食べずに学校に来る子どもがとっても多い。別に寝坊をして朝ごはんを食べる時間がなかったわけではありません。お金がないので、朝ごはんが食べられないのです。日本の社会にも、文字通りの貧しさが、燎原の火のごとく、ビックリするほどたくさんの子どもに広がっているのです。
ところが、それ以上にビックリするのは、ものの貧しさではなくて、心の貧しさです。大塚久雄先生の著作ではないですが、日本の社会を根底から崩れ去るのではないか? と感じないではいられないほどの深刻さで、子どもの心がバラバラになっているのです。
子どもひとりびとりは、したがって、自分の足で立つ、ということを、死に物狂いで、望んでいる、ということもできると思います。
「立つ」というこの単純なことは、赤ちゃんが子どもに変わる目印の一つでしょう。しかし、それだけではありませんでしょう。「立つ」ということが、類人猿から「人類」を分ける目印の一つでしょう。その意味で、いま日本の多くの子どもが、「赤ちゃん」のままでいますし、もっと言えば、いまだ「人類」になることができず、「類人猿」のままなのですね。
人間の子どもが「立つ」ためには、私ども大人はどうすればいいのか?
一つは大人が子どもに対して、真実に献身することです。献身する本気が必要です。しかし、献身などと申し上げると、なんか「お堅い」感じがありますでしょう? でも私が申し上げる「献身」はそれともまったく真逆です。むしろ、「喜び」一杯、「楽しさ」一杯ですね。子どもと係るときに最も大事なのが、「喜び」であり、「楽しさ」なのですね。
私は、このような「楽しい献身」を、いつもどこででも、お薦めしています。
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