聴く力、と言ったら、カウンセリングやセラピーの基本です。でも、カウンセリングやセラピーの専売特許じゃないのも事実でしょ。「いい仕事」はおしなべて、「聴く力」の賜物だと私は考えます。
ヴァイオリニストと言ったら、人に自分の音を聴かせる仕事だと思う人が多いでしょう。確かにクラシック音楽のコンサートに行けば、ヴァイオリニストたちの出す音に耳を傾けることになります。以前このブログでも取り上げました五嶋みどりさん。自分か引く音はどこから聞こえてくるんでしたっけ? それは「自分の中から」でしたね(天才 五嶋みどり)。ですから、五嶋みどりさんは、演奏前に、あるいは、演奏中に、その内側から聞こえてくる音を一生懸命に「聴く」訳ですね。あれだけ深い感動をもたらしてくれるのは、五嶋みどりの「聴く力」が賜物ではないからでしょうね。
あるいは、教師。教師と言ったら、子どもを前にして、国語や理科、学校のルールを「教える」人だと、思っている人が多いのじゃあないかしらね。教員自身もそう考えてる人が実は多い。でも、本当の教師は「聴く力」があるかないかによって決まる、と私は考えます。金森俊朗さんは、何よりも話し合いを大事にします。名古屋大学のE研のように、強者である教師を前にしても、子どもが自由に話せる場を提供しようとするんですね。これはセラピーにも通じる「自由で守られた空間」づくりでしょ。ですから、金森俊朗さんは、そのために心掛けていることがあるようですよ。それを次のように述べています。「大切なのは、作文が自分の言葉でリアルに書かれていること、発表後子どもたちの意見交流・応答に十分時間をかけ、教師が一人ひとりの声を豊かに聴くことに徹することです」http://www.nhk.or.jp/tokkatsu/ijimezero/teacher/2013_011_02_shidou.html
金森俊朗さんは子どもの声にならない声を「聴く力」が非常に鋭いことが分かるだろうと思います。
俳優。高倉健さんは、「演じることには、生き方が出る」と言いますね。「生き方を出す」のじゃない点に注意が必要ですね。生き方が「出る」のであって、「出す」のじゃぁない。意識的にするんじゃぁないってことでしょ。ですから、「感受性、感じる心を大事にしていた」と言います。高倉健さんも「聴く力」をことさらに大事にしてきたと言えませんか? (「自分にうそのない充実した時間を過ごされてください」)
「聴く力」、それは、「聴く相手」と誠実に話し合い、やり取りするためであって、相手をコントローしたり、支配したりするためではないことは確かでしょ。
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