エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ウソとゴマカシの極北 親愛なる友よ 第二弾

2014-08-02 10:57:24 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 欲がなさそうに見える母親が、子どもに対して強い敵意を抱いている、というのは、驚きですね。

 p57下から2行目から

 

 

 

 

 

 無欲という性質がことさらハッキリするのは、その他者に対する影響においてであり、とくに、私どもの文化いちばんよくあるパターンは、「無欲な」母親の影響が、その母親の子どもたちに現われます。母親からしてみたら、自分が無欲なおかげで、子どもたちは、愛されることと学ぶことを、愛することの代わりに経験するはずだと、信じたい。ところが、その母親が無欲である影響は、この母親の期待と正反対です。その子どもたちは、自分たちが大事にされていると信じている人が示すハッピーを示さないんです。その子どもたちは、不安で、緊張していた、お母さんに非難されたり、お母さんの期待に添えないんじゃないのかしらと心配です。子どもたちは、母親が人生に対して敵意を抱いていることに影響されるのか、普通です。子どもたちは、その敵意をハッキリ分かるわけではないけれども、結局は自分自身も、その人生に対する敵意が伝染してきます。要するに、無欲な母親の影響は、自己中の母親の影響とたいして変わらない、いや、実際は、むしろ、もっとひどい。なぜって、その母親が無欲を演じているために、子どもたちは母親を批判できないからなんですね。子どもたちには、母親をがっかりさせないという義理があるんですね。子どもたちは、徳のある仮面のもとで、人生を嫌悪することを、教わります。もしも、人が一度でもいいから、純粋に自分を大事にする気持ちのある母親の影響を学ぶことができれば、自分を大事にしている母親から大事にされることほど、慈しみ深く、悦びに満ちていて、しかも、ぬくもりのある経験を子どもに授けるのに役立つものはないと分かるのにね。

 

 

 

 

 

 無欲を演じていて、その実人生と子どもに敵意のある母親が「最悪」なんですね。見た目にもひどい親なら、子どもは非難できる。無欲を演じられたら、子どもは親を非難するチャンスさえ奪われる。無欲を演じるためには、それなりの知性と経済力が必要ですね。ですから、見た目はきれいにされ、別に相手にされないことはないかかわりがある母親です。この人は。ですが、子どもにとっては、「見捨てられ」の連続です。ウソとゴマカシの、ある意味極北です。

 ここは、国立大学大学院准教授、親愛なる友人にも味わってもらいたいところですね。

 

 

 

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