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Young Man Luther 『青年ルター』p.216,第2パラグラフ,14行目途中から。p.215の第2パラグラフからも一緒に。
しかし,中には,このような陰気で不機嫌な悲しみという心の病が,いろんな損得勘定をしているために,悪い習慣になっている人もいますね。こういった心病む悪い習慣の人の中から,どの分野でも,日曜礼拝依存症が集められます。全ての人が,この陰気で不機嫌な悲しみという心の病が,唯一の育ちのイメージになるように努めているのかもしれませんね。ウィリアム・ジェームズが言うように,「ラテン民族は,悪魔が『みんなの病と罪にしても,隅々まで打ち消す』ように悪魔の圧力を粉々にすることができるのに,ゲルマン民族は,『1人の罪,大文字の罪』を立てて,『生まれながらに従う質に埋め込み,二進も三進も取り去ることができないものに』しがちです」。ジェームズが言うことが本当なら,陽気が気質にすごく影響するのかもしれませんね。光が北の冬に消えてしまう危機まで引っ込んで,光が人から切り離されてしまえばしまう程,闇は長引き,冷たさが悲しき運命となりますし,闇と冷たさが,取り返しがつかないと思う程長引き,あるいは,この光を見失った冷たさを,有無を言わせず押し付ける全体主義が長引きます。ルターは,繰り返し陰気で不機嫌な悲しみという心の病になったので,絶望と心の病が悲しき運命だと受け容れましたし,死は眼の前の危機だと受け容れていましたから,ルターが述べてきたことは,最悪を予期した,思想的には最も受け容れ難い思いこと(たとえば,ひとりびとりにとっては,運命予定説で,人が努力しても運命は変わりません)の中に,心の習慣のあの不動の岩盤,普段は光が当たらない裏側だったのかもしれませんが,その不動の岩盤,その裏側こそは,北の人々にとって,まさにみんなが飛躍する土台がある,ということした。
夏が扉まで来ている
冬は過去となった
花は咲きつつある
ことを始めた者は誰でも
ことを完成させるでしょう(訳注:ドイツ語の詩)
この詩は,冬が去り,夏がそこまできていること,花が咲きつつあること,それから,一つの道を始めたものは誰でも,最後までやり遂げるのは確かだ,ということだけを,表現しています。
私が悪い良心にいつも打ち勝っている,心が自由にされている時には,悪い良心がバラバラにしていたことも,仲間にして1つにすることができます。つまり,私が主人公ですと,その私はホリスティックですから,バラバラにされたことを壊さずに1つにまとめることができます。ルターが目覚めて復活した時,ルター(悪い良心が自分を押さえ付けているところから目覚めている人みたいに)は,壮大な全体主義に逆戻りしました。この全体主義から,一つの新しい全体像の礎石が引き出されます。全うな人は,様々な全うな状況を平等に心の収めます。すなわち,ルターが主張したように,私どもは,ダメ人間(ラテン語で,躓いた者)そのものであると同時に,聖書の神様の眼鏡に叶うもの(ラテン語で,復活した者)ですから,いつでも,強く非難されていると同時に,恵みに溢れていますし,生きていると同時に,死んでいます。私どもは,どんなに努力しても,1つの絶対的な状況から,別の絶対的な状況に移ることなどできません。私どもができることは唯一,聖書の神様から恵まれた意識を,いまここで使って,人間の条件にある二律背反を,2人の人が心から許し合うことだけです。心理学的に言えば,いつでも,どんなことをする時にも,どんなことを考えても,強いられて,ねばならないと思ったら,決して正気にはなれないようにお互いできています。私どもは自分が一番力強いのは,いろんなことを強いられることによって,自分が否定されすぎず,自分が今ここでできることを陽気に楽しみ,ねばならないことを繰り返しお断りして,自分が創造されることにピッタリ息を合わせて,発達するときです。自分が創造されるのにピッタリに発達するのには,私どもの悪い良心は独裁的になりやすいことを,いつもよくよく考慮しなくてはなりません。私どもの悪い良心は,いろんなこまごまとした,犠牲や贖いをしても,決して宥めることなどできませんが,聖書の神様が創造する全体像の中では,常に,パートナーになる割り当てがあります。
昨日「創造,発達には,悪い良心が禁物です」と言ったのは,言い過ぎなのかもしれませんね。
悪い良心さえ,仲間にするのが聖書の神様です。
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