ルターは、初めは非難していた存在そのものに、いつの間にか、自分がなっちゃいました。
Young Man Luther 『青年ルター』p.239の12行目から。
ルターは、免罪符や高利貸に誰よりも乱暴に反対してきたのに、私利私欲と、どの宗教・教派を選択するかということとの間にある、魂にとって不幸な縁組を、西洋世界で目立ったものにしてしまったんです。マルティンは、父親の階級を弁護する、魂のレベルでの法律家になっちゃったのでした。
ルターが祈りの人として「祈りの中」で気付いたことは、世界を、ひとりびとりの人を根源的に変えてしまうものでした。その意味では、いまでもルターから学べることはたくさんあります。しかし、それを実現するためには、それだけ膨大なエネルギーのいることでしたが、ルターの手近にはそれだけのエネルギーはありませんでした。ルターの中にそれだけのエネルギーがあったのか、なかったのかはわかりません。
ルターが「祈りの中」で気付いた革命は、したがって、現在進行形なんです。神様は、いつでも、現在進行形だからです。
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