エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「見る」と「見られる」の不思議

2016-06-30 06:30:40 | 聖書の言葉から

 

 

 

 

 
マチャミのお仕事
    内なる父母  子どもは、母親から信頼を、父親から規律を学べば、独立して生きていける。福音です。 p41の五行目から。 &nbs...>続きを......
 

 

 見る。何気ないことですね。マジシャンの人はある意味、見ることをよく知っている人だと思います。つまり、「人は意識しないと、見ていていても見えない」ということをよくよく知っている人だ、ということです。手品をしている時には、意識を逸らしてから、意識のないところで物を隠したり、入れ替えたりする…。意識の逸れているあたりは、見ていても見えていないので、見ている我々はまんまと騙される、手品にかかる、という訳ですね。

 見ることを意識することは、見えることに繋がります

 でも、それだけじゃぁ、ありませんでしょ。

 「見られている」ことを意識することは、いっそう大事かもしれませんね。昔は、日本人でも、倫理の基本は「見られていることを意識すること」にこそあったのではないでしょうか? 「お天道様が見ているよ」ということは、子どもに倫理を教える時に常套句だったわけですからね。

 見られていることを意識することは、善く生きることに繋がります

 東京電力、大川小学校、大臣を辞任した甘利明、放射能汚染土壌を日本中に薔薇眞している「環境(汚染)省」、三井不動産レジデンシャル、三菱自動車、キリがありりませんでしょ。「見られている関係」を忘れた、不幸で残念な人たちですね。

 私どもは「見られている」『見守れらている』ことを忘れずに、「見られている」『見守られている』所に、ヒュポメノー、とどまっていたいですね。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 言葉の恵み | トップ | 発達トラウマ障害(DTD)の子... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿