エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

セラピーと言う名の、内省

2016-02-13 04:13:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
今は、鏡におぼろに映ったものを見ている 改訂版
  ケダモノ以下のナチスを体験済みのエリクソンにとっては、恐怖政治が「正しいこと」の押し付けと結びついていたことは、自明のことだったでしょう。ナチスがやったのは、...
 

 

 自分が感じている気持ちに、名前を付けることには、不思議な力があるらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.234の、ブランク後の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 あなたが傷ついたら、自分に何が起こったのかに気付いて、名前を付けなくっちゃね。私はこれを自分の経験からしりました。父親が家の地下室に、様々な3才の子の罰で私を閉じ込めた時、何が自分に起きたのかが分かるゆとりがないと、私はずっと、追放され、捨て置かれたことで、胸がいっぱいになりました。幼い自分が感じたことを話すことが出来て初めて、彼が怖くて言いなりになっていたことを許すことが出来て初めて、仲間の悦びを自分でも楽しめるようになりました。気持ちは人に聞いてもらい、理解されたら、身体が変わりますよ。複雑な気持ちもハッキリと言い表すことが出来るようになりますし、自分の気持ちに気付けますし、大脳辺縁系を活気づけて、「なるほどね、と感じる時」を作り出してくれます。反対に、沈黙と無理解に出逢えば、魂が死にますね。あるいは、ジョン・ボールビーが言った通りで、「母親(ほかの人)に話せないことは、自分にも話せません」ってね。

 

 

 

 

 

 人に話しているようで、実は自分に語り掛けている、ということは、思っている以上に、現実にある話ではないですか? 面接で、クライアントがセラピストに話すことも、実はクライアントが自分自身に語ることでもあり分けですね。つまり、セラピーは、クライアントは内省を、セラピストを相手に、言語化してやっている訳ですね。 

 

 

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