ブルース・ペリー教授の翻訳のアクセス数の多さに驚かされますね。邦訳が紀伊国屋書店から出ているはずてすよね。邦訳は全く当たってないので、その仕上がり具合は知りません。でも、昨日翻訳した部分は、「最後まであと少し(2ページ弱)」ですので、このまま、最後まで、ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog を翻訳することといたしました。へへへ…。p.245。
この心の眼と心の耳を傾けて、聴くことを大事にするやり方で、1人の子どもと関わる時、子どもから返って来る反応は、事がどう運ぶのか、事をどう収めるのか分かっていると思い込んでいる時とは、全く異なるものになりますよ。たとえば、私が、小さな部屋ないしは小屋にいたジャスティンに初めて会った時、前に彼を訪ねた人らとは全く違う反応に出逢いましたからね。と言うのも、心の眼と心の眼で穏やかに聴いたらば、ジャスティン(「犬」はジャスティンです)が、人もビックリするような行動をする背後には、恐れとひもじさがあると分かったからでした。悪いことをしたのが自分の子どもで、特に、怒られる様なことや、気分が動転するようなことをその子がすれば、一歩下がった態度で接するのは、難しいに決まっています。だけれども、世間を子どもの立場から見ようとすればするほど、また、子どもに安心と安全を感じてもらおうとすればするほど、その子どもの行動はそれだけ良くなるみたいですし、その子どもの良い行動をさらに良いものにする方法も、それだけ見つけやすくなりますよね。
ミラーリングって、面白いですね。子どもは悪いことをするだろうと、大人が怒ったり、ことを収めようとするような態度で接すると、子どもはますます悪くなる。反対に、一見「悪いこと」の中に、「良いこと」があることを見る心の眼と心の耳をもって接すれば、子どもは不思議に良くなるんですからね。
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