バーンズ・アンド・ノーブル書店アラモアナ支店にてバーンズ・アンド・ノーブル書店。全米に支店がある、紀伊国屋書店のような本屋さん。ミネアポリスでも、ロサンゼルスでも、シカゴでも、お世話になりました。このアラモアナ支店も、毎回...
昨日のブログ(「信者にならない方が良い」という司祭)に、「本田哲郎さんが教えて下さるように、ヘビのように感性鋭く、ハトのように単刀直入にハッキリ言葉にしながら、生きたいものですね。」と記しました。これは、ご存知の方も多いと思いますが、新約聖書の「マタイによる福音書」第10章16節「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」のところを、本田哲郎さんの翻訳を頼りに、私が適宜訳し直したところです。
今日と明日、この聖句を手掛かりに、いつも心理臨床の中で考えていることを、皆さんにお伝えできればありがたいと思いました。今日はその前半戦です。
この聖句の前半は、新共同訳では、「ヘビのように賢く」とあると引用しましたね。本田哲郎さんは、「賢く」と訳されているものとギリシア語 φρονιμοι フロニモイは「賢い」という意味がないと言います。ヘビは全身が触覚みたいなものだから、「感性鋭い」という意味だというんですね。本田哲郎さんがこのように言う背景は、もちろんギリシア語の意味からなんですが、釜ヶ崎の人との関わりもあるみたい。本田哲郎さんは、貧しくされている人の「感性鋭い」感じを何度も体験していることも、関係している、と言います。
私もここを読みまして、「なるほどなぁ」と感じます。子どもは大人のウソをすぐに見破る、といつでも感じているからです。対照的に、今まで通りが大事な、鈍感な大人ほど、すぐにばれるとも知らないで、割と平気に、ウソとゴマカシをやるんですね。特に障害のある子どもは、特に「鋭いなぁ」と感じることが何度もありますから、この「ヘビのように感性が鋭い」ということは、非常にリアリティがあることを感じます。
また、「解放の神学」の1つの報告として、むかし、エルンスト・カルデナルの「正義と愛の御国を (ソレンチナーメの農民による福音書)」を読んだ時の不思議な感じも思い出します。貧しい古老が話すことが、司祭のカルデナルに勝るとも劣らない智恵に満ちていたからです。その古老はもちろん、神学を学んだことは未だかつてなかったことでしょう。しかし、貧しい暮らしの中で実感したことと聖書に御言葉が結び付く時、計り知れない知恵が生まれることを、カルデナルがイキイキと報告していて、新鮮な驚きを感じましたね。この古老にも、「ヘビのような感性の鋭さ」を感じます。
私どもも、自分の生活の中から、言葉を紡ぎ出し、また、人の生活の中から紡ぎ出された言葉と言葉にならない言葉に、静かに耳を傾けて、新しいヴィジョンを作り出して生きたいものです。
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