「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
June 06 ,2019,横浜の心理臨床学会で,Perezさんのお話を聴いた関係です。
p.98の第3パラグラフから。
今朝は,p.102の,第4パラグラフ,6行目から。
自分が生きている実感と,その実感に従って生きることを神経学的に研究したことから,私の友人の,ピーター・レヴィンとパット・オーデンが開発した体感療法がとても人の役に立ちことが分かりました。…そのエッセンスは,次の3つです。
1)トラウマが邪魔して,氷漬けにしている体感を引き出すこと
2)体感が自分を突き動かす力,と患者さんが仲良くなれるように手助けすること
3)自分を守るために引っ込めた身体の関わりを,「できた」にすること その引っ込めた身体の関わりは,おっかなくて,閉じ込められ,押さえつけられ,動けないようにさせられた時にできなかった関わりなんです。
腑に落ちる気持ちは,安心,命が続いていること,あるいは,脅かされていることのシグナルです,たとえ,どうしてそうなるのかわからない場合でも。私どもが心身の中で感じていることは,私どもの身体が望んでいることに関する微妙なシグナルを,常時送っています。腑に落ちる感じが役に立つのは,自分の周りの,いまここで起きていることを,適格にと評価してくれることです。腑に落ちる感じは,いま近づいてくる男は気味悪いぞ,と警告してくれますが,勿忘草がいっぱい咲く西向きの部屋のおかげで,落ち着いた気分になっている,ということも,教えてくれます。腑に落ちる感じは,的確なことを教えてくれると信頼すること,なんですし,自分の身体,自分の気持ち,ウソのない自分を生きることは,自分に任されていること,なんですから。
ところが,トラウマを負わされた人たちは,いつも身体の中に,シックリ来ないところがあるのが常です。過去はいつまでも生きていて,身体の中が不快に感じる,という形で蘇ります。トラウマを負わされた人たちの身体は,腹から突き上げる「危ない」と告げる様々なサインのために,苦しい思いをさせられるのが常になりますし,自分の中で起きていることをコントロールしようとして,腑に落ちる感じを,見て見ぬふりをするプロになってしまいますし,自分の実感を態度で示す意識がゼロになります。トラウマを負わされた人達って,本音を隠す(訳注:ようになり,忖度して生きる)ようになりますからね。
腑に落ちる感じが様々に警告する感覚を,押しのけ,無視しようとすればするほど,腑に落ちる感じから来る様々な警告の感覚のために,困惑し,混乱し,自分はダメダァと恥を深めることになります。身体の中で現在進行形で起きていることを,心地よく感じられない人達は,五感の変化に対して無力ですから,無感覚になるか,狼狽え怖がるのか,のいずれかのやり方で,対処するようになります。体感を押し殺す人たちは,恐れそのものを恐れるようになってしまいます。
恐れ戦く症状がいつまでも続くのは,パニック発作に伴う様々な体感を恐れる恐れを,主として,その人がいろんな場面で展開するようになるからです。パニック発作の引き金になるのは,ご当人も,理屈に合わないとは知っていても,体感がおっかないために,身体中が総毛立つ迄恐怖が高じてしまうんです。「ゾッとする」,「怖くて凍り付く」(落ち込んだり,何にも感じなくなったりすること共に)は,恐怖とトラウマがどう感じるかを正確に示しています。「ゾッとする」,「怖くて凍り付く」というのは,腹の底から感じる気持ちです。オッカナイ気持ちを感じると,何処にも逃げ場がない恐れに対する本能的な反応です。腹の底から感じる気持ち,本音が変わらない限り,恐怖の虜になります。
体感という身体からのシグナルを無視したり,歪めたりしたら,その代価は,自分に危険なことや自分を傷つけることとに気を配ることができなくなりますし,同じくらい悪いことに,安心できることや自分を元気にしてくれることにも,気を配ることもできなくなります。自分と折り合いをつける,ってことは,自分の身体と仲良しになることなんですからね。自分の身体と仲良くできませんと,外側から自分を真っすぐにするものに頼る依存症になります。薬,お酒などの薬物の依存症や,いつも人に同意を求めたり,忖度したりする依存症です
私の患者さんたちは,体感に気付き,名付けるのではなくて,偏頭痛や喘息発作にることで,ストレスに応答するようになる場合が,多いんですから。サンディーは,中年の訪問支援員でしたが,私に教えてくれたことは,子どものころは,オッカナクて,独りぼっちだった,ということでした。アルコール依存症の両親が,サンディーの面倒を見なかったんですから。サンディーは,このオッカナイ気持ちと独りぼっちを感じる気持ちを,自分が依存する相手(セラピストの私も,含まれます)皆に,敬意を払うことで,対処してたんです。旦那さんが思いやりのない言葉を言えば,いつでも,サンディーは,喘息発作を起こしたんです。サンディーは息ができないと気付いた時には,吸引機では手遅れで,救急救命室に入院しなくてはなりませんでした。
助けを求める魂の叫びを押さえつけるますと,身体を自動的に動かすストレスホルモンを止められなくなります。サンデーは,人とうまく関われないことや,身体の痛みは気にしないようにしても,それが身体の症状になることは,気にせざるを得ませんでした。サンディーのセラピーは,様々な体感と様々な気持ちの関係を1つ1つ,繋げることに焦点を当てましたし,私は私で,「キックボクシングのプログラム」をやったら,と,サンディーの心にガソリンをつぎ込みました。私のところにセラピーに来て以来3年間,サンディーは救急救命室に入ることは一度もありません。
原因がハッキリしない身体の様々な症状(訳注:身体化障害,ないしは,身体症状症)は,トラウマを負わされた子どもたち,大人たちには,必ずあります。原因不明の身体の症状(訳注:身体化障害,ないしは,身体症状症)には,背中の痛みや肩こり,リウマチ,偏頭痛,消化不良,過敏性腸症候群,慢性疲労,ある種の喘息があります。トラウマを負わされた子ども達は,トラウマがない子ども達に比べて,喘息に,50倍なりやすいのです。いろんな研究によれば,重たい喘息発作のある子どもや大人の中には,発作が起こる前に,自分には息の乱れがいろいろある,ということに気づいてない人が多い,ということが分かっています。
アレキサイミア・感情語喪失症 : 気持ちを表す言葉が1つもない
私には,夫を亡くしたおばさんが1人いました。そのおばさんは,ひどいトラウマを負わされたひとで,私ども子どもたちにとっては,おばあさんみたいな人でした。そのおばさんは,私の家によく来てくれて,いろんなお手伝いをしてくれたものです。カーテンを作ったり,キッチン棚を模様替えしたり,子どもたちの服を拵えてくれたり。しかも,ほとんど無口でした。おばさんは,いつも人を歓ばすことに熱心でしたが,「おばさん自身」が何を歓びとしているのかが分かりませんでした。陽気で楽しいやり取りをいろいろして数日を過ごした後,会話が途切れますと,私は長い沈黙を埋めるのに苦労したもんです。おばさんが家で過ごす最後の日,私はおばさんを空港まで車で送りました。空港では,おばさんは身体を強張らせて,私にサヨナラのハグをしてくれました。おばさんの目は涙を零していました。皮肉の意味は一片もありませんが,その時おばさんが零したのは,「ローガン空港の風が冷たいから,涙が出るわ」ということでした。おばさんの身体は悲しみを体感していたのに,おばさんはそのことに気付かなかったんです。おばさんは私どもの若い家族,一番近しい親族を残して去っていきました。
自分の気持ちを言葉にできない現象を,アレキサイミア,感情語喪失症と,精神医学者は呼びます。アレキサイミアは,ギリシャ語で,気持ちを表す言葉がない,という意味です。トラウマを負わされると,子どもも大人も,自分が体感していることを言葉にできなくなるのは,身体が感じる様々なことが,どういう意味があるのかが,実感できなくなるからです。トラウマを負わされた子どもも大人も,激しく怒っていても,自分は怒ってない,と言いますもんね。怖がっていても,自分は大丈夫って言いますからね。自分の身体の中で今現在進んでいることが分かりませんから,自分がしたいことも分かりませんし,自分の頭のハエも追えません。決まった時間に決まった量の食事もできませんし,必要な睡眠時間も取れません。
私の伯母さんみたいに,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,関わり方という言葉が,気持ちの言葉の代わりをします。「トラックが時速100キロで自分の方に突っ込んでくるのが見えたら,どんなお気持ちですか?」と訊かれたら,「ゾッとします」とか,「怖くて凍り付きます」という人がほとんどでしょ。でも,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,「どう感じるかだって,サアね,トラックが来たら,どくでしょ」などと言いますから。アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,様々な気持ちは,身体の不調と見なして,注目すべきサインだとは見なしません。アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,怒ったり,悲しんだりする代わりに,筋肉が痛い,だの,お腹の調子が悪い,だのと言って,原因がハッキリとは分からないいろんな症状がでます。拒食症のおよそ4分の3,過食症のおよそ2分の1以上の人には,様々な気持ちに戸惑い恐れますし,自分の気持ちを言い表すことができません。研究者たちが,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人に,怒った顔の写真や落ち込んでいる顔の写真を見せても,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,その人の気持ちがわかりません。
アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人のことを,最初に私に教えてくれたのは,精神科医のヘンリー・クリスタルでした。クリスタル先生は,何千人もの,ユダヤ人ホロコーストの生き残りと共に仕事をして,大きな心理的トラウマを理解したいと努力しておられました。クリスタル先生ご自身が,強制収容所の生き残りでしたし,ユダヤ人ホロコーストの生き残りの人たちは,仕事はうまくいっても,私生活は寂しく,ヨソヨソシイものだ,と気付きました。自分の気持ちを押し殺して,空気を忖度すれば,仕事向きですが,その代価は高い。アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,自分自身を圧倒するいろんな気持ちに,心閉ざしていますから,結果として,自分の気持ちが1つも分からなくなりますから,結果として,身体が体感していることに,1つも実感が湧きません。セラピーに関心のある人もほとんどゼロですしね。
西オンタリオ大学のポール・フレウェンは,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病で苦しんでいる人の,一連の脳画像を取りました。その検査に協力した人の1人が私に教えてくれたことは,「何も感じないんです。頭と身体がバラバラみたいです。いつもトンネルの中か,霧の中にいて,何があっても,いつもおんなじ対応です。実感が1つもありません。何も感じません。泡風呂に入っても,火傷を負っても,レイプされても,おんなじで、実感がありません。私の脳は,何も感じません。」 フレウェンと仲間のルース・ラニウスが見つけたことは,自分のいろんな気持ちに触れなければ,触れない程,生きている実感を体感する脳の働きが鈍くなる,ということです。
トラウマを負わされた人は,自分の身体の中でいま起きていることに、実感を持てない場合がとても多いものですから,不満に対して,微妙な違いのある反応ができません。トラウマを負わされた人は,「その場からいなくなる(訳注:回避、解離)」か,「怒りを爆発させる」かの何れかです。トラウマを負わされた人がどんな反応をしても,自分が何で動揺しているのかは,分かりません。自分の身体に触れることができないために,自分を守る手立てが分かりませんから,いじめの格好の標的にされてしまいます。また,トラウマを負わされた人は,心からの歓び,身体の歓びに実感が持てませんし,腑に落ちることも出来ません。
アレキサイミア,気持ちを言葉にできない心の病の人が良くなるのは,自分の体感と自分の気持ちが関係していることに,気付けるようになる場合だけです。それは,色盲の人が彩りが分かる様になるのは,光の濃淡を区別して,違いが分かる様になる時だけ,なのと,おんなじです。私の叔母さんや,ヘンリー・クリスタルの患者さん達みたいに,アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人は,体感と気持ちの繋がりに,気付こうとはしないのが普通ですけどね。アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病の人が気付かぬ内に心に決めている事は,医者に診て貰って,病気を治療するけれども,病院が治らないこママの方が,過去のデーモンに向き合う,辛いお務めをするよりもマシだ,ということです。
デパーソナリゼーション 生きている実感を失う心の病
アレキサイミア,自分の気持ちを言葉にできない心の病よりも,もう一歩自分を忘れる階段を下った病が,デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病です。ウテさんの脳画像が,第4章にありますが,真っ黒黒で,デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病をハッキリと示しています。デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病は,トラウマ体験を負わされている間は,どなたもかかる心の病です。昔私はある晩,自宅近くの公園で強盗に出くわしました。その時,強盗に襲われた光景の上を浮遊して,自分が頭に小さな傷を負って、雪の上に倒れているのが見えました。周りは,ナイフを手にした3人の少年が取り囲んでいました。両手の刺し傷の痛みを忘れ,少しも恐れずに,「空っぽの財布は返せ」と落ち着いて交渉していました。
私がPTSDにならなかったのは,私が身近で学んできた経験に,強い関心を持っていたからですし,強盗を警察に突き出せるかも,という妄想をイメージしたからだと思います。もちろん,強盗は捕まりませんでしたし,仕返しをしてやるという私の空想は,自分は人生の主人公であるという心の習慣を満足させてくれたに違いありません。
トラウトを負わされた人は,あんまり幸せじゃあ、ありませんから,自分の身体から切り離されているように感じます。デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病を特に上手に描いたものは,ドイツの精神分析家のポール・シェーダーが,1928年にベルリンで記したものでしょう。「デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病の人にとって,この世は,親しみが持てず,嫌な感じで,有害ですし,また,夢みたいに,実感が湧きません。いろんなものが,時には,サイズが変わってしまいますし、時には,平らになってしまいます。いろんな音が,遥か彼方から,聞こえてきます...。いろんな気持ちも,おんなじ様に,コロコロ変わってしまいます。デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病の人は,『痛みも喜びもありません』とこぼしますからね...。デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病の人って,自分が他人なんですよ。」
私が熱心に学んだのは,ジェノヴァ大学の神経科学者グループが,対外離脱体験を誘発したことでしたね。対外離脱体験は,側頭頭頂接合部に,局所的に弱い電気刺激を与えることで,誘発されたんです。1人の患者さんは,この電気刺激によって,天井から吊り下げられ,自分の身体を上から眺めているような感じがしました。また別の患者さんは,自分の背後に,誰かが立っている,不気味な感じがしました。この研究は,私どもの患者さん達が言うことは本当だ,とハッキリ示しています。
発達トラウマ障害の人は,頭と身体がバラバラ。
実感が持てない心身の病。
病んで不毛な社会の病理!
発達トラウマ障害の人,デパーソナリゼーション,生きている実感を失う心の病の人は,身体離脱体験している場合があることが分かります。
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