矛盾律は、臨床では当たり前。さてさて。
p68の下から3行目から。
アリストテレス哲学の信奉者と矛盾律に違いを、これ以上詳しく述べることは、この本の狙いを超えるかもしれませんが、二三の実例に触れたいと思います。と申しますのも、矛盾律の原理をよりよく理解していただくためです。西洋哲学で矛盾律が最初に現れたのは、ヘラクレイトス哲学においてでした。ヘラクレイトスは、対立するものの間の葛藤を、イキイキ、ピチピチ生きることことすべての根っこを支える根源と見なしました。ヘラクレイトス曰く「自らの中に葛藤を抱え込んでいるものは、自らと調和している、ということを、彼らは理解しない。≪葛藤する調和≫とは、弓と竪琴のように(断片51)」と。さらにより明確に曰く「私どもは同じ川に入る。しかし、必ずしも同じ川であるわけではない。≪それは私どもであり、同時に、私どもではない≫」と。あるいは、「全く同じことの表れ。生きることと死ぬこと。歩くことと寝ること。若いことと老いること」と。
矛盾律、難しすぎ。形而上学的に矛盾律を考えるのは、非常に難しい。何かごまかされているようにも思えてくる。「自民党政権が言っている込みたい…」
でも、臨床ではわかる…。
フロムさん、もっとはっきり分かるように説明してくださいね。
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