今日のタイトル、お分かりでしょうか?
東日本大震災、2013年3月11日、午後2時46分に起こった大地震と、その後に東北から関東地方を襲った大津波による大災害、それはハッキリと眼に見える形の大災害でしたし、今でも「復興」は名ばかりで、いまだに「仮設住宅」と言う名の粗末な建物に、「個として尊重される」はずの、主権者たる国民が押し込められている。それだけでも、いかに日本の民主主義が名ばかり民主主義だと分かります。
でも本日のテーマはそれとは違います。
いま、横浜で開催されている日本心理臨床学会に来ています。とても大事なテーマが、いくつも話し合われ、真摯な姿勢で討議がされています。真理とは、こういうものですね。伊藤良子先生は、事例研究のことを「倫理としての事例研究」と呼びます。「なるほどなぁ」と思います。クライアントとセラピストの関係は本来は対等です。しかし、その関係は簡単に上下関係、支配関係になってしまう。それはもう、人様の眼の前にさらされることもできません。しかし、それを論文にして事例研究にして発表したら、それは、上下関係になった事例研究など、一片の価値もありませんし、そんなものが印刷に付されるはずもない…。でもそうでもないのが残念ですね。しかし、第三者の目にさらされること、それが、クライアントとセラピストの関係を対等な、やり取りのある関係にして、良い治療にするんですね。そのためには、第三者の目にその事例をさらす、「倫理としての事例研究」が是非とも必要です。操作され、支配された事例研究があまりにも多いので、これを改めて伊藤良子先生がハッキリと学会という公の席で言葉にしてくれた意義は非常に高い、と強く感じますね。
でも、今日のテーマはこれでもない。
カナダ・ウェスタンオンタリオ大学のルース・ラニウス教授が「トラウマを受けた自己を癒す」というテーマでお話しくださいました。トラウマを受けた自己は、いろんな診断名がつく心の病に襲われると言います。そのトラウマは、一発の大災害よりも、日常生活の中で毎日繰り返される家族関係によるものの方が、はるかに大きいし、人格の最深部まで侵されてしまう、ということです。それが、今日のタイトルの意味するところです。
それは、もう文字通り「自分がない」のです。もう、それは非常に深刻な状況です。こうなると、心的外傷後ストレス障害、境界型人格障害、うつ病(気分障害)、不安障害、解離性障害、心身症、薬物依存症…。しかし、その中核的な、もともとの障害は何か? といえば、発達トラウマ障害(DTD)なんですね。
これは非常に臨床とも一致します。津波を受け深刻な被害を受けた地域でも、最も深刻なのは、津波被害によるものじゃぁない。日々の母子関係、家族関係に起因するものなんです。それは、発達トラウマ障害(DTD)です。発達トラウマ障害(DTD)の子どもの数と質が半端じゃないんですね。私はここに日本が崩れていく予兆さえ感じてしまうほどなんです。でも、内村鑑三に倣って、希望を語ります。
今の日本は、日常生活が、大津波以上に、大津波なんですね。つまりそれは、今の日本が、子どもを日々深刻に傷つけるほど、「人間らしい暮らし」からかけ離れた,病んで不毛な社会(impovetrished society)になっていることを、非常にハッキリと、私どもに示しているんですね。
ですから、私どもは、日々の子どもたちとの関わりを、やり取りのあるものに、陽気で楽しいものに、意識的にすることによって、「人間らしい暮らし」を取り戻すんですね。
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