カウンセラー、サイコセラピストは、日本では後発の、新しい仕事。タコツボ社会、井の中の蛙社会、ムラ社会ですから、ニッポン人は「新しいモノ」にはすぐに飛びつくのに、「新しい存在」には否定的、懐疑的。カウンセラー、サイコセラピストは、学校でも、病院でも、福祉施設でも、矯正施設でも、会社でも、「外様」扱い、傍流です。
それはなぜなのか? が、解ってくるような気になる所です。本田哲郎神父様「釜ヶ崎と福音」から。
村人からうとまれたイエス誕生の折に、お祝いにかけつけた二組の人たちがいました。…東からやって来た三人の博士。マタイ福音書2章に報告されているエピソードです。原文は「マーゴイ」となっています。これはギリシア語ではなく、ぺリシア語を音写したものです。「マーゴイ」とは博士でも王様でもなく、占い師です。占い師は医者とカウンセラーの役割もする、原始的な形で人の悩みを受けとめる人たちです。…病人の痛みをわが身に共有するというようなことです。すると、病人は「あ、自分だけではなくて、目の前の相手もいっしょに、この痛みをわかってくれている」と気持ちが楽になる。コンパッション、つまり共に苦しむことでいやしが行なわれる。これが占い師=「マーゴイ」でした。ユダヤ社会では異端視され、「罪人」とみなされる人たちでした。
ですから、ニッポンでも、カウンセラー、サイコセラピストは、「外様」扱い、よそ者、傍流なのかもしれません。しかし、コンパッションには、その相手を癒すばかりではなく、その「外様」扱い、よそ者視する、傍流となっている集団・組織も癒す役割があります。
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